過去の日誌3/1〜15
なお、リンクは新規アップロード直後の物なので切れていたり変更されていたりすることがあります。ご了承ください。
3月1日
3月。いかん。カレンダー作ってない(逝)昼から雨の予報。夜には止むらしい。夜っていつだ(逝)
傘を持たずに出勤してみる。仕事ふにふに。尻拭い案件きたー(逝)2010撤収。
大阪駅に立ち寄り、みどりの券売機で乗車券を調達してから阪急梅田へ。2031の普通で帰る。
豊中で下車。よし雨降ってない。勝った(逝)腹減った。
以前1回行っただけの濃厚鷄スープのラーメン屋に行ってみよう。……満員どころか店の前に10人程も溢れてやがる(逝)待つほど余裕はない。しかもここから家までの間にもう飲食店がない(逝)負けた(逝)
自宅近くのローソンでパスタ買って帰宅(逝)
風呂に入って2320出撃。
さっきはまだ生暖かい風だったが急に冷え込んできたな。このまま週末はずっと寒いらしい。梅田行普通でうとうとしながら。
さて今日は久しぶりにサンライズ出雲だ。ここのところずっと瀬戸だったのはなんでだろう。
出雲大社詣での女性にサンライズ出雲が人気らしいけど、満席になるのは金曜の夜の下りだから金曜夜の上りは余り該当しなさそうだし。梅田に到着、大阪駅へ向かう。
サンライズ瀬戸・出雲5分遅れ(逝)
まあ、定刻に入ってきて事故で1時間遅延が前回だからそれよりましか。ましなのか。
0040頃、285系14連が到着。
3号車ソロに収まる。いいかげん狭いがバスより楽だし、着替えるスペースはあるのがありがたい。
新大阪通過イベントを見ながら着替える。
狭いけどね。個室なのはありがたい。
SL-C1000が、出撃直前にバッテリー半減を知らせたので室内のコンセントから充電しておこう。5時間あれば充電出来るはずだ。
のびのび座席と開放寝台ではこの電源問題の差が実のところ大きい。基本設計が半世紀にならんとする開放寝台はともかく、サンライズののびのび座席にコンセントがあれば廉価夜行バスに対しての強力な武器になるだろう。悲しいかな、そこまで電源が重宝される時代になるとは想像出来なかったのだろう。
個室寝台以外でコンセントが使えるようになるのはひかりレールスターのオフィスシートからではないか。各座席、となるとN700系か。
そう考えると確かに高いは高いのだが個室寝台のメリットはあるのだよなあ。
ちなみに、良い座席を提供することが売りの高速バスにはコンセントが装備されつつあるようだ。検札がこないなあと思いつつ消灯して、意識が途切れかけた瞬間にノックで起こされた(逝)もうちょっとだけ早く来ていただけると嬉しいですぅ(逝)
というわけでまた明日。
3月2日
何度か目が覚めたのは多分テンションが上がってるからだろう。それよりもやはりマットレスの上で横になれているのが身体が楽である。のびのび座席が楽じゃなかったのは、年とったからか(逝)もっと楽な格好で乗ったらどうなんだろう。でも着替えられないしなあ。なんとかして試さないとねっ(逝)横浜手前で起き出し、顔を洗って着替える。
東京は薄曇り。雲の後ろに空が透けて見える。0709東京着。定刻で東京着は久しぶりな気がする。定刻だと横浜下車だったり、目が覚めたらまだ静岡県内だったりしたものな。
東京〜。
上野へ向かう。
3・4番線ホームに上がると京浜東北線E233系のドアが閉まったところで山手線E231系が到着したところだった。当然山手線E231系に乗り込む。上野のNEW DAYSでパンとコーヒーを調達して0738発の高崎行に乗り込む。乗るのはグリーン車だ。駅長はバカなので2F席へ行く(逝)
さて、天地明察を読み初めている。この人の話を読むのは初めてなので少し戸惑いはあるがゆるやかに引き込まれて行く。むしろ戸惑いは江戸時代という時代設定にあるか。マルドゥック・スクランブルも読んでみたいと少し思う。
高崎着。湘南色の115系とか、八高線のキハ110とかを撮影した。
高崎は東のSLの聖地な訳だがさて、乗りに来れる日があるかなあ。
というわけでルートイン高崎駅西口である。
前回のに味を占めて「線路沿いをお願いします」とオンライン予約の時に書き沿えておいた(逝)
今日は901号室である。おお、まさに一番端のはず。……なんだこりゃ(逝)
機器室か何か判らないけど線路ほとんど見えない(逝)まあいっか。次回は線路沿いじゃなくて線路がよく見える部屋をリクエストしてみよう(逝)VAIO Xを起動。日誌を編集しっつつ鉄道フォーラムへの書き込みも作成する。
ベッドに寝転んだら意識が飛ぶ(逝)なんとか浮上して2320風呂。
のんびり浸かり、部屋に戻る。どうにも眠いなやはり。日誌編集も目処はついた。0010消灯。
この部屋、前回の605だかに比べると却って静かだ。9Fと高いからなのか視界を遮る機器室の壁の分なのか。
3月3日
0630アラームで起床。できず(逝)0645何とか動き出す。部屋からの眺めはこの通りでとほほな状況なので、非常口に出てみる。非常時以外の出入り禁止、とかにはなっていないのをいいことに。
ここはさすがに電車見放題。寒いけど(逝)とほほ。
0710朝風呂。
暖まって帰って来たところで日誌を更新。
0740朝食。ちょっと焼いたパンがおいしい。食後のカフェオレまで堪能。部屋に戻り、出撃準備を整えてから非常階段でカメラをかまえる。湘南色の115系を撮影出来ていい感じである。
0845チェックアウト。
駅までぽくぽく歩く。これなら0918の下仁田行に乗れるな。駅窓口でフリーきっぷと、今年のえと、巳年にちなんだ南蛇井の記念入場券があったので調達。
0918の下仁田行は1000形。1977年のローレル賞を受賞した車輛で阪急6000系と同世代だ。ワンハンドルマスコン採用の、地方私鉄の意欲的な自社新造車両といえる。右側に運転台があるんだね。
桃源堂のラッピング……じゃなくってペイントだこれ。
かぶりついて撮影ポイントを探そう。
高崎出発直前にC6120が見えるわ、原色の200系が目の前の新幹線高架を通り過ぎるわなかなか巡り合わせが悪い(逝)1023下仁田着。
駅前の食料品店でこんにゃくをお土産に調達。あと、もう少し山側にある神津牧場の牛乳やらバターやらも特産らしいのだけど肝心の牛乳が売ってないのが残念。しかし神津牧場、入場料無料ってすごいな。営利部分はあるが財団法人扱いなのか。近くに諏訪神社があるようなので駅前通りを抜ける。
下仁田もカツ丼で町おこしを図っているようで、食堂らしい店の前には上りが立っている。全部準備中だけど(逝)1時間後なら開いてる店もあるのかなあ。諏訪神社はこぢんまりとした神社だった。あいさつをして、駅に戻る。
次の上りは1113で随分空く。しかも1045に下り電車が到着した。しまった。千平で撮ろうと決めていたんだから先に降りればよかったか。
降りて来た子供がいる。小学校高学年の前半くらいか。改札で父親が出迎えていたからクルマで先回りしたか何かのようだ。
「お父さん、千平から下仁田の間に廃トンネルがあったけどあれ何か知ってる?」
と聞こえて来た。廃トンネルなんて言葉お兄さん30年前は知らなかったよ(逝)1113発の高崎行は150形。元西武の車両だ。
ジオパークのラッピングが施されている。乗車するのは初めてだからいい感じだ。1119千平で下車。
すぐに下り電車が来るので駅の高崎方で場所を決める。やって来たのは500形。最新型となる503+504だった。
青空をバックに。
時刻表を確認してスケジュールを決める。
次の次の上り電車まで1時間20分ほど空くのだが、その間に下り電車が2本来るので、自分が乗る上り電車を加えれば4列車(1本目は終わったけど)の撮影が可能ということになる。いい感じだ。今度は下仁田方に行ってみよう。不通渓谷(とおらずと読むらしい)の橋から線路と川を入れてみよう。下り電車は後追いになるけどこれだけ離れるとどっちがどっちやら判らない。電車は500形だった。
いい感じで撮れました。
すぐにやって来る上り電車はアップで。
次の下り電車はほぼ同じ場所でアングル変えてみよう。
……失敗した(逝)悲しみに暮れていると5分後に来る上り電車に乗り遅れるので慌てて駅に戻る。
やって来た500形で高崎まで戻る。元西武101系のはず。
1328高崎着。
駅弁を調達して改札をくぐる。次の上野行は30分後か。ちょっと間が悪かったかな。
タイミングがよければ185系の特急という選択肢もありだとおもうのだけど1時間30分後なので今回は見送り。Suicaグリーン券を買って2番線ホームに。
やって来たのは往路と同じくE231系。4ドア表示だから211系はないと思ったができれば最新のE233系がよかったなあと難癖をつける(逝)車内で駅弁を広げる。高崎名物だるま弁当。入れ物のプラスチックはともかく中身は山菜を中心に鳥肉などヘルシー。ちなみに陶器の入れ物の復刻だるま弁当もある。重いので今回はパス(逝)
で、さらに八戸駅の津軽海峡かにいくら寿司。塩漬けと醤油漬けのいくらの食べ比べなんて初めてだよう。というわけで2個目の調達を押さえられなかったあるよ(逝)
で、パッケージと中身のイメージが違い過ぎるよ(逝)うまかったけど。
いくら、少なくね?(逝)
いくらは醤油漬けのほうがまろやかな気がした。
当然ながら満腹になったので寝る(逝)
目が覚めたら上尾だった。1539上野着。雨が降りそうな曇り空だ。
足早に山手線に乗り換える。E233系ベースで製作されたサハE231-4600番台だった。東京駅で予約した特急券を引き換える。
押さえたのはのぞみ239号。よく考えたら前夜にはN700A系の運用が判ったのだからチェックしておけばよかったんだよな。やって来たのはN700系だった。
1620東京駅を離れる。
多摩川相模川をわたり、熱海では海がちらりと見えた。
富士川大井川天竜川をわたり、浜名湖と遠州灘の隙間を駆け抜ける。
東京を離れると空は青く変わっていた。それを沈む太陽が紅く染めて行く。豊橋を通過するころにまだ西の空に見えていた太陽は三河安城を通過するころには西の山の峰に姿を消していた。
名古屋到着のころには空には光が残るが風景はシルエットに沈みつつある。のぞみ239号は新大阪行なので混雑度が広島や博多行よりも緩やかだ。エクスプレス予約でチェックした際には比較的空席があったし、名古屋からの乗車はほとんどなかったようだ。
1853新大阪26番線到着。27番線の新設が完了して使用開始を待ちわびている。夏の飯田線オフは何番線からの出発になるかな。
在来線に乗り換える。ホームに下りたら普通西明石行が発車直前だったのでぷち駆け込みを敢行。
大阪駅から梅田駅へいつもの道をたどり日常へと精神を戻して行く。
1911の普通の発車間際。何とか座れた。
向かいで見慣れない表紙のHUNTER×HUNTERを読んでる兄ちゃんがいる。え、新刊?それ何巻だよ。ヒジョーに気になる。なぜか指が巻数のところにかかっていて見えない。次が豊中、というところで数字が見えた。
19。
……ちっ気を持たせやがって(逝)豊中から歩いて帰宅。
夕食後自室に戻るとPCがぴーぴぴになってる(逝)慌てて再起動。
そろそろ限界かもなあ。
3月4日
暗殺教室3巻を調達して出勤。仕事ふにふに。それ、元々の話と別だよね?(逝)2000撤収。
真っすぐ帰ろう。
梅田に着いたら2026発池田行にジャスト。豊中から歩いて帰宅。
暗殺教室はやはり面白い。コミックスレベルでの引きが絶妙なのはおそらく計算ずくではないか。轟沈(逝)
3月5日
仕事ふにふに。そろそろ残業抑制指令が出そうな。1940撤収。真っすぐ帰る。2002の普通に座れた。
轟沈明けなので豊中から歩いて帰宅。新聞の夕刊を何げなく開いたら有川浩のインタビューが載っていて驚く。これだからアナログはおもしろい。
5分で読める1駅でストーリー読了。
気に入った作品を列挙しておこう。乗車編から。タイトルと感想だけでオチが判ると申し訳ないのでタイトルは書かないよ。・中山七里
最後の2行だけのためにある作品だと思う。陰鬱で重いが、すごい。・大間九郎
テンポのよさが何とも言えない。どこまでオチるんだこれ。無〜理〜。・八樹純
小説ならではのトリックが心地いい。混雑時のベビーカーは駅長も否定するけど。・おかもと(仮)
どうでもいいことを大層なことのように並べるのは大好きである。・友井羊
なぜ、とか聞いちゃいけない。前職がハードだったので、というところでうんうんうなずいてはいけない(逝)以上乗車編。続いて降車編。
・柚月裕子
誰が一番悪いのだろう。多分作者の人が悪い(逝)・林由美子
これはラブストーリーなのか。あまりにも哀しい。・森川楓子
あの事故を連想させる。これもまた哀しいラブストーリー。・上村佑
ラブストーリーではない、のかもしれないけれど。・谷春慶
わかる。わかるよ。大変なんだよ。・水田美意子
いいね。テンポよく進む。ただし、ネタは判ったけど。・藍上ゆう
哀しいお話。・深沢仁
よくある、と言ってしまっては失礼だろう。やはりどんでん返しは楽しい。こうしてみると降車編にラブ率が比較的あるように見える。そして駅長にとってラブはSFらしいので(逝)
もちろん取り上げなかった作品がレベルが低い訳ではない。低いのは駅長のレベルだったりテンションだったりする。
このシリーズ、新しいのが読みたいな。深夜、カレンダーを印刷。M.ZUIKO40-150mmのテスト撮影で撮った阪急3000系を採用。よく考えたらURO2もOM-Dで撮ったからα700は丸2カ月休憩中ということになる。持って出てやらないとな。
3月6日
仕事ふにふに。用事があるので撤退戦とする。1845撤収に成功。梅田まで歩く。暖かくなったもんだ。このあと寒の戻りがあると全滅する訳だが(逝)
紀伊国屋書店へ突入して、サンデーマガジンを調達。
その後だらだらと再度JR線を越えて大阪駅サウスゲートビルディングへ。かつてアクティ大阪と呼ばれていたビルだ。16Fの豆富料理のお店でで鉄道フォーラムのスタッフオフである。駅長以外にもノンアルコールな人がいてほっとしたよ。豆乳も豆富も濃くておいしかった。
人も濃い人ばかり(逝)2245散会。これからお世話になります。
2300の急行、座れてラッキー。
帰宅後ボーッとしてたらどんどん遅くなるような。寝よう。
3月7日
仕事ふにふに。1920撤収。ロッカールームでK氏とタイミングがあったのでそのまま一緒に曽根まで。
岡町で下車して帰宅。日誌編集を始めなければいけないんだけどどうも疲れてるので手が動かない。週末だなあ。
3月8日
暑い(逝)しかも週明けからまた寒いらしい。死んじゃうよ(逝)仕事ふにふに。久々に地雷どーん(逝)1930撤収。
地下鉄から阪急へ至る地下道にあるドラッグストアで龍角散ののどあめが168円と破格なので10袋の大量調達を図る。これだけ買うと重い(逝)
岡町から歩いて帰宅。暑い。
深夜、轟沈しかけるが何とか浮上。自室で寝る。
3月9日
0800起床。歯医者ちゅりちゅり。今日はクリーニングのみだったが、やはり虫歯ではないものの新たな歯の欠損が確認された。次回からまた戦いである。
午後はさんごちゃんを車検のために工場へ回送するのだ。
でも眠いので暖かい車内で30分くらい寝てしまった(逝)それでも高速は空いていて40分ほどで住吉の工場へたどり着いた。
古いクルマだからいつ壊れるか判らない面があるが、車輛そのもので調子の悪いところは取り敢えずないので開けてびっくりがなければ大丈夫だろう。
コーティングしたボディにコンパウンドかけられると大変なのでそれと、タイヤも著しい圧の低下がなければ窒素充填なのでということを伝えておく。変なトラブルがなければ火曜には完了するはずだけど、受け取りにくる機会がないので1週間が納期である。
さて、帰ろう。いつもは沢ノ町から南海高野線に乗るけど今日は我孫子町に歩いてみる。一度乗り過ごした時にここから歩いた方が近い!と思ったのはもう何年も前のような気がするが、工場から駅に歩いたことはなかったのである。
1本道じゃなかったっけー。危うく間違うところだったよ。
我孫子町から新今宮まで。JR環状線に乗り継ぐ。
201系がやってきたけど先発の関空紀州路快速が225系だったのでそっちに乗り込む。丸顔の223系に比べて切妻とまでいかないがガラス面積を減らした無骨な正面デザインである。安全対策を優先にしたということらしい。乗り心地は悪くない。新車だしね。大阪駅から梅田へ。寄り道せず、急行で立って帰る。
豊中駅から自宅への道をぽくぽく歩いて気が付いた。散髪行き忘れた(逝)
天地明察読了。
いや、おもしろかった。また、春海よりも年長のおっさんどもがまたかっこいいんだ。これは確かに良作だ。夜、少し腹が痛いのと、ひどい腹下し。吐き気はないのだが。あまりよろしくないなあ。
3月10日
0830起床。日誌更新。
腹がしくしく痛んだり痛まなかったり。下しているのは変わらず。薬も飲んでいるが効いた気配なし。
ノロなどウイルス性の可能性もあるがそれにしては状況がのんびりしてるので多分違うだろう。
食って出し、という感じではないのと食欲はあるので始末に負えない。午後は買い出しに出る予定だったがどうもこれではだめなので引きこもる。居間でブチ轟沈していたら夜になったよ(逝)
夕食は道の駅南飛騨はなももの里で調達した鉱泉粥をここぞとばかりにいただく。胃腸にいいんだよね。って賞味期限切れてるんですケドー?(逝)
夜中まで下す。腹が減って仕方がない(逝)
3月11日
震災が始まって2年。まだ終わった話ではない。これからだ。腹下し変わらず。締まらない。
入館証忘れてきちゃったよ。あわてて自宅へ電波して確認。無くすと事故扱いで大変怒られるのだ。
夕方から頭痛が出てきた。風邪かなあ。
仕事ふにふに。前述の通りどうしようもないので残業をほうり出して1810撤収を図る。
最短ルートで撤退する。1830の急行に駆け込んで豊中まで。
1845には医者に突入できた。待ち合いに誰もいないのに15分待たされたけどな(逝)
診察の結果はノロなどではないがやっぱりウイルス性の胃腸炎らしい。吐かないのもあるんだね。
薬もらって帰宅。今日も轟沈しかける。頭痛がひどかったのでこれは処方されたものではないロキソニンを服用して一休みしてたらオチたのである(逝)
なんとか0055再起動して、風呂に入って0220、湯たぽんを抱いて寝る。
3月12日
お腹ぴー(逝)仕事ふにふに。昨日今日とどうも一人祭りが始まったようだ(逝)1955撤収。
午後からやっと薬が効き出したようで今度は腹が張って痛い(逝)トイレに行くと派手な音でガスが出るがこんなの自席でやったら訴えられるわ(逝)
東梅田へ向かい、清風堂書店へ突入。
4月の新刊情報を収集。
図書館戦争待望の11巻だ。のんびり店内を物色していたら2036に乗り遅れたので2050の急行に乗り込んだ。
……おっさん、英語の勉強はいいけど音読するな(逝)
深夜まで腹下し再び。風呂に入った後のトイレはなんかもったいないからやなんだけど(逝)
3月13日
銀河英雄伝説〜英雄たちの肖像〜4巻を調達して出勤。仕事ふにふに。祭り継続中も全体的に量が減ったのでちょっと早く終わった。1915撤収。
腹具合は一進一退風味。大丈夫なのか。
工場からさんごちゃんの車検に関して連絡あり。
足回りに要交換なパーツがあるため交換するとのこと。これに関しては是非もない。交換を依頼。エンジンオイルも交換するかと問われたがこちらは辞退。予定どおり仕上がりそうだ。梅田までさくさく帰り、紀伊国屋書店へ突入、サンデーとマガジンを調達。文具売り場で遊んでいたら箕面行普通に乗りそびれ、次の普通も既に座れないていたらく。なので急行で帰る。
急行に乗れば10分で豊中まで帰れるのに、座れる普通を10分立って待つのは愚かというものだろう。池田より先に帰る人なら状況は別だが。買っただけで見ていなかったJRAジャパンワールドカップ3を見たら疲れて轟沈(逝)こりゃあヒドイ。ヒドすぎる(べた褒めしているので念のため)
3月14日
仕事ふにふに。うずたかく持ち案件が積み重なって行く。2005撤収。真っすぐ帰ろう。
淀屋橋で21系のリニューアル車を見た。
ドア横の号車デザインを見たら30000系か、と思ったけど21607とか書いてる。げ。リニューアル車だ。写真撮ろうと思ったけどISW11Fのシャッターが切れず(逝)
Android4.0になってからレスポンスが遅くなった気がする。ただし、液晶保護シートの貼り方の問題かも知れずなんとも言えない。2026発の池田行に間に合った。
豊中から帰る。深夜、調べて見たら21系のリニューアル車はこの1編成らしい。でも谷町線22系にはもう2編成もいるらしい。出会ったことないなあ。
いろいろ回らねばいけないようだな。ふふふふ。
3月15日
やーっと腹具合が落ち着いてきたよ。丸1週間。波打ち際のむろみさん8巻とちきゅう観測隊!を調達。どっちも同じ作者の作品。
ちきゅう観測隊!は波打ち際のむろみさんが始まる前の不定期掲載作品だったが、少ない枚数にテンポよくギャグが決まっていいねと思っていた印象がある。作者が同じなのはむろみさんの単行本が出てから気づいたのだけど。
4月から波打ち際のむろみさんはアニメ化である。取り敢えず録画してみるか。仕事ふにふに。1910撤収。
1945発の箕面行に乗った。9005Fである。
ふらふらとパチンコ屋に吸い込まれてみる。
もちろんスキージャンプペア2EXをプレイするためだが。2000円でドイツペアがブランコを決めてくれた。そのままドル箱が一杯になれば!と思ったがあえなく終了。そのまま玉を使い切ったので撤退とした。このくらいなら負けは負けだが楽しめたのでOKである。
帰宅後は早寝。