過去の日誌7/15〜31 
なお、リンクは新規アップロード直後の物なので切れていたり変更されていたりすることがあります。ご了承ください。

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7月15日
データの吸い出しは多分終わったとは思うので、マシンをシャットダウンしておく。それにしてもB's Recorder10はISOファイルが読めるんだなあ。

仕事ふにふに。ばたばたする(逝)2050撤収。

夕食後またも轟沈しかける(逝)疲れてるんだろうなあ。思考もネガティブになりがちできつい。

焼きマシンへアプリケーションのインストールをいくつか実施。全部そろったらライティングの試運転をして、ハードウェア移設かな。


7月16日
昨日、CAR BOY誌調達したんだけど書き忘れてた(逝)

駅のホームで日傘ってのは実際どうなんだろう。朝ラッシュ時に始発電車の席を求めて列ができるような時間帯にそれはちょっと迷惑じゃないかとか思うのだが。気持ちは判らないでもないけれど。

仕事ふにふに。うがー(逝)面倒な案件を踏んでイライラする反面、自分がイージーに終わらせた案件で同僚の人がどっぷりはまっていたりすると大変申し訳ないなあと思ったり。

2050撤収ではジョーシンにも金券ショップにも行けやしねえ(逝)ヨドバシにしか行けなかったら何か買っちゃうじゃないか(逝)

日誌補完を続けるが先は長い(逝)
というか、HD700とGX100からまだデータを吸い出してないというのは怠惰だのぅ(逝)


7月17日
出勤中にハヤテのごとく!20巻神のみぞ知るセカイ5巻を調達。

仕事ふにふに。試験を受けて沈没(逝)2200撤収。ちときつい。

しかも轟沈(逝)ああ、2Fでクーラーフル稼働なのに(逝)


7月18日
0830サルベージ。

1030の歯医者から行動開始。
ちゅりちゅり削って今日はまだ様子見。そして次も2週間後(逝)

久しぶりのルネサンスへ出撃。混み具合はあまり変わらないな。

ジムでストレッチマシンで腹筋。クロストレーナーでテレビを見ながら20分ほどで汗だくに。
……替えのパンツ忘れたー(逝)びしゃびしゃなんだが(逝)

プールでは、泳ぎ続けにチャレンジ。駅長も400m程は毎回泳いでいた計算だがかねなし氏が1000mをあっさり泳ぐと聞いて驚いたのである。
が。50mを20本で1000mか。やっぱりハードだなあ、と思ったけど50mを80秒ほどで泳げることが判った。休まずゆっくりと泳ぐことが肝心らしいからではやってみよう。

……何本泳いだか忘れちゃったよ(逝)
取り敢えず50mごとに10秒ほどのインターバルを取りながら30分間泳ぎ続けてみた。やってみれば出来るもんだ。
身体が冷えたので風呂に浸かって、今日は終了。次回はちゃんとカウントしたいものだ。

帰宅して、旧焼きマシンから新焼きマシンへ光学ドライブの移植作業を行う。5インチベイにケーブルがぺたぺた貼り付けてあってドライブが引っかかってがーん(逝)

起動させてよしよし認識だ。
で、B'sRecorderを走らせたらなんと。デフォルトで装着されているDVDドライブはB'sRecorderに対応してないぞ(逝)まあ、いいけど。

あとついにSCSIインターフェイスを非装着とした。カードスロットはHP200LXのバックアップ用に導入して愛用としてきたがついに行き場を失った格好だ。あと2GBの外づけHDD(逝)


7月19日
0800起床。

焼きマシンでリッピングしてみる。あっさり終わった。MP3でのリッピング時に表示されるファイルサイズがかなり大きい気がするのがちょっと気になるけど。

風呂に入ってからさんごちゃんで出撃。行き先はアライグマ邸、というか沙神奈邸。死んでしまったPCの死体漁りである(逝)

生暖かい湿っぽい風が吹くけど道が流れていると気にならない。40分ほどで着いた。

ナツキチ君はどうぶつの森に夢中らしい。変な物を買って両親にマジ叱られ(逝)ちょっと酷かもしれないかなと思ったけど二人で考えるところあってのことだろう。口出しすべきではない。

PCは東芝のdynabookE8/520CDE。MobileCerelon2GHz搭載だ。駅長のAthlon2600+である旧焼きマシンをメインPCとして投入した時期に前後していたはずである。

聞いたところによると、起動時に変な音がした、とのことなので当たりはHDD破損にある。が、違うかもしれない。

さあ解体だ。ネジをドライバで外して行く。
アライグマ氏が
「今どうなってるか見んでええの?」
と指摘。おお、忘れていた(逝)

電源を入れて見る。
……起動しないってことだったけどセーフモードで起動したよー?(逝)今度は通常起動で。

……取り敢えず起動しちゃった(逝)ただ、Avast!のファイルが読み込めないとかエラーが出る。プログラムの追加と削除画面で何も出てこないとか変である。ファイルのコピーをしたらショートカットだけがばらまかれた(逝)
問題のデータのコピーをするのはどうすればいいか。

エクスプローラだとどうもうまく行かない風味。

まあ当初からHDDに原因がありそうだと感じさせる現象だから。チェックディスクをしてみてどうか、というのがあるけど今回はデータをぶっこ抜く、が優先命題だ。

んー読み込めないファイルを回復コンソールからリネームするか。だめなら回復コンソールからチェックディスクか。

というわけでこんなこともあろうかと用意しておいたこのWindowsXPTabletEditionのCDでほれブートだぁ(逝)

……Administratorのパスワードが違うとかでログオン出来ない(逝)HomeEditionだから通常使わないアカウントだから、パスワードを変更するなんて認識自体がないはず。となるとさっきのプログラムの一覧が出ないとか言う辺りも含めておかしいんだな。

なんとかデータを先に退避させてから作業させたいところだが。んー。

よしこんなこともあろうかと用意しておいたWindows7RC版のDVDだ。えい、起動だ。ここからコマンドプロンプトを呼び出せるのがVista以降の実は強烈な導入メリットとなる。ちなみにXPまでの回復コンソールとは違いVistaプリインストールのPCの多くのメーカーPCがこの修復モードを呼び出せるようになっている。
しかもこのコマンドプロンプトはXPの回復コンソールとは違いUSBを認識するのである。

というわけでUSB接続したHDDを認識していることを確認してから必要なデータのあるフォルダに移動……アカウントが日本語だからタイプ出来ないよ(逝)まあいいや。全部移動しちゃえ。xcopy、っと。

……すっげー時間かかった(逝)でもちゃんとバックアップ出来たぞ。

で、チェックディスクを仕掛ける。その間にバックアップデータが読み込めるかどうかを確認してもらう。問題なかったようだ。

チェックディスク中にやっぱりHDDが異音を出したのでHDD交換を決定。ごりごりビスを外す。あれぇ。HDDはどこだろう。

……実は底のビス1本で光学ドライブが取り外せてその下にあったぞHDD(逝)まあ予想どおりだが2.5インチATAドライブだ。

ちなみにデータぶっこ抜きの報酬はこのPCである。まだまだ使えるものさ。

データをぶっこ抜いたのは1TBの外付けHDD.だが、なぜか4GBのデータをコピーできないといわれている。ああ、FAT32の限界か。convertコマンドで別にいいんだけどなあ。

が、やばそうなHDDからデータをぶっこ抜いたので抜いた先もやばくなったようでconvertコマンドが通らないのでこちらもチェックディスクへ(逝)1TBは長いぞ(逝)

で、その間に買い物とかに出ることにする。さんごちゃんに夫妻とナツキチ君を乗せてダイエーへ。おお、雨が降ってきた。

稲光の中ダイエーで買い物を済ませて、戻る途中にパソコン工房へ寄り道。パソコン工房は尼崎や箕面もそうだが郊外に駐車場付きの小型店舗があるのがありがたい。

HITACHIの80GBのにした。万が一の認識しないとかあると間抜けである。

戻って沙神奈嬢が夕食の準備をしている横でHDDをいそいそと交換。うん。あっさり完了だ。Windows7を入れてみる。

あっさり入ったが、重い(逝)当たり前だが、グラフィックドライバがないな。Aeroの動かないものは切り捨てる方向なのかな。

変わってWindowsXPTabletEditionを入れてみる。あっさりと入ったんだがやっぱりディスプレイドライバがない。ないものは仕方ないのでintelから落とす。ちなみに無線LANカードのドライバを入れたら野良電波が先に見つかった(逝)

で、この機種のリカバリCDをこまっち氏が持って行ったままなのである。おーい(逝)

夕食は鰻をメインにいろいろ。ごちそう様でした。あと、セロリキライ(逝)

2330雨が弱くなったところで撤収。

雨の中をすいすい走り駐車場に0005帰宅。ただ、雨が激しいので何も持たずに家まで走った(逝)それでもずぶ濡れになったが、さらに降りは激しくなったようなのでまあよしとしよう。


7月20日
0900起床。

風呂に入ってから出撃準備。取り敢えずさんごちゃんからPCそのほかの荷物を取り出しておく。

電車で梅田へ出る。
まっすぐヨドバシへ突入(逝)といっても行き先は7Fのユニクロである。

次々とチノパンが謎の死を遂げているので緊急増備なのだ。残念ながら今週はチノパンのセールはなく、まとめ買い対象でもない。2990円だ。
あとは1990円でサテン地のストレートジーンズがあったので一緒に試着室へ持って入る。

……入らない。ウエストではなく太ももが(逝)ぱっつんぱっつんであり力んだらえらいことになりそうだ(逝)やめ。

待ち時間の間に大阪駅へ行く。
「7月26日の佐久間レールパーク1号を」
「満席ですー」
「8月2日の佐久間レールパーク1号を」
「満席ですー」
「8月9日の佐久間レールパーク1号を」
「満席ですー」
「8月16日の佐久間レールパーク1号を」
「満席ですー」

ちっ(逝)団体が暗躍しているらしい噂があるとは言え痛い。一旦撤収。

サンマルコでカレーを食べてから再度挑戦。といっても往路は満席なので、復路の佐久間レールパーク2号を押さえてみる。
「こちらは残席ありますー」
という訳で押さえる。日帰り突貫佐久間レールパークだ。往復特急利用になるが佐久間レールパーク号は117系の歴史として押さえておきたいので無理をする。というか、宿泊ありにして宿泊代を支出するとあまり変わらない金額になるのである。

ヨドバシへ戻りチノパンを受け取る。あと、スティーロンのメッセンジャーバッグが安くなっていたのでつい調達(逝)

まだ時間は早いが梅田から撤収。喉が渇いたので自販機とかコンビニとか見て成城石井でJAおおいたのかぼすドリンクと目があって調達(逝)
さっぱりしておいしかった。

豊中駅からそのまま駐車場へ行ってさんごちゃん起動。
オートバックスへオイル交換へ行くのだ。生暖かい風の中を走るが途中でエアコンなしに耐え切れなくなりエアコン始動(逝)

オイルを物色してからコーナンで座布団を調達。会社で使うのだ。

オイル交換は結局前回と同じカストロールXF-08にした。
……オイル漏れてるだと?確かにオイルパンが結構汚れている。ピットクルー氏の勧めてくれた漏れ止め剤飛燕を導入。+6300円って結構痛い(逝)

で、帰宅。駐車場にはオイルの漏れ跡も何もない。しばらく様子見である。

ガソリンも入れておかないとなあ。


7月21日
1日雨、の予報だけど取り敢えず止んでる。うん。ついてる。

出勤中にBook1stでコンシェルジュ江口鉄平の事件簿2巻を調達。なんと、この作品も1巻はこの店にはなかったはずなのだが。

どきどきたまタン1巻もあったのだがこげどんぼ*作品はゲーマーズでの調達が望ましい。ごめんよぉぉぉ(逝)

仕事ふにふに。大爆発(逝)思ったように仕事が進められない内に2000(逝)2045撤収。この時間からでは金券ショップに行けないではないか。

でも梅田発2111の普通が久々に9001Fだったのでまあいいか(逝)

深夜。すげー雨。朝起きたら1Fが水没してるんじゃないだろうか(逝)


7月22日
20日の梅田行でやり忘れていたことを思い出した(逝)ジョーシンのセールに行くのをすっかり忘れていたよ(逝)

天候はひとまず回復基調らしい。

仕事ふにふに。今日もパニックだ(逝)でも奇跡的に1940撤収。ゲーマーズに、とも思ったけど明後日の新刊を待ってからの方がいいかな。

というわけで東梅田へ出て、金券ショップへ突入。図書カードと名古屋までの新幹線回数券を調達。自由席でもいいと思っていたのだけど回数券が定価より800円くらい安いので自由席で行くにしても事前調達のメリットもあるので回数券にした。

あいぼりい氏夫妻が飯田線オフ不参加に。残念である。宿を調整せねば。

普通でのんびり帰る。岡町を過ぎたところまで覚えているのだが気が付いたら蛍池だった(逝)

なんかやる気なしなし(逝)


7月23日
MAGI×ES魔法小路の少年少女3巻をBook1stで調達。これで完結かあ。

仕事ふにふに。今日もばたばたした(逝)

業後に誰かが配って行ったキャラメルを食べた。こうやってお菓子が分配されていたりするのだ。もちろん駅長はえびせんべいでお返ししているのだが。

……これ、噂のジンギスカンキャラメルだ(逝)なんとも言えない味。まあ、それは許せた。が。ゲップがジンギスカンの味(逝)胸焼けする(逝)そんな中2100撤収。

深夜、胸焼けが止まらない(逝)


7月24日
仕事ふにふに。どう考えても回ってない(逝)堆く積もる債務(逝)2120撤収。

梅田でついふらふらと紀伊国屋書店へ吸い込まれて閉店までぶらぶら。何も買わないけど(逝)有川浩の新刊はまたもハードカバー。気になるけどこの際だから文庫化まで待つ(逝)血迷ってハードカバーの図書館戦争1冊買っちゃったら残りも全部買うけど(逝)

轟沈。2週連続かよ(逝)


7月25日
0800サルベージ。
だらだらしてたら土砂降りの雨になった。さっさと整骨院へ行くべきだったか。それとも間に合わず土砂降りの中を自転車で帰ってくる羽目にならなかったことを喜ぶべきか。

土砂降りの中整骨院へ。傘を差しても当然濡れたのだが、先生に
「自転車で来はったんですか?」
と言われた。いくら何でもそれは無理(逝)
ぴりぴり治療してたら雨は小止みになっていた。

昼食の外出の際にエトレ豊中のすみれ書店で週刊鉄道絶景の旅と歴史でめぐる鉄道全路線のシリーズを調達。いずれもここ2週の間に飯田線を取り上げているのだ。これを押さえない手はない。

夕方、雨が止んでるっぽいので自転車でルネサンスへ出撃。
いつも通り、ウエイトトレーニングで腹筋に負荷をかけてから、クロストレーナー20分で汗をだくだく出す。横にいる人より時間が短いのはどうかとも思うけど駅長の場合はプールが本番である。
100mほどウォーキングをして身体をほぐしてからゆっくり泳ぎ始める。1000m泳いで、力つきた(逝)

明日は4時台の電車で出撃なので、居間で自沈する。


7月26日 ちょっと長いので注意
0415起床。ばたばた準備して0428出撃。

豊中駅前のグルメシティでランチパックを調達してから、0448発梅田行に乗車。

大阪駅のみどりの券売機でのぞみ200号の指定券を取得。お、11号車の1番E席だ。「いちばんいーせき」というわけでついてる、ことにする。まあ、のぞみならこの席が出る確率が普通車だけでも10回ある訳だけど。

7番線ホームへ上がるとちょうど京都行が入線するところだった。
下り線である4番線に回送が入るという放送が聞こえたので、何が来るのかと思えばなんとEF81の単行。これは驚いた。こんな運用があるんだなあ。わざわざ大阪駅に入るのだからJR貨物の運用ではないだろう。
ちなみに大阪駅は貨物列車の来ない駅だ。だから、機関車がやってくるとしたら客車列車なのだが、まさか単行とは。

のぞみ200号はN700系。もう珍しくもないけど駅長は初体験だ。
26番線ホームに上がるとまだドアが開いてないので先頭車へ出向き、その特徴ある姿をカメラに収めておく。まったく、職人芸で実現した時速300kmの前頭部を量産品で実現してしまうのだから、わずか数年と言えども時の流れは恐ろしい。

0600定刻に新大阪のホームを離れる。VVVFインバータがうなり風景が後方へと流れ始める。
わずか8分で京都府に入った。さらに5分で京都である。

N700系は確かにJR東海と西日本が本気で作った車輛なのでおそらく歴史に残る名車となる予感がある。
先頭車の形状のキテレツさも700系ほどではないし、500系の前頭部が職人芸だったのに対しN700系のそれは量産品だ。デザインはともかく(逝)コスト的には大量生産するなら大事だろう。車体傾斜機能は振り子ほどではないが着実な曲線通過速度の向上を実現する。座席も適度な堅さで悪くないし、窓上に個別の空調の調整があるのもいい。もちろん普通車にも設けられたコンセントは絶対に便利だし無線LAN接続も当然便利だ。500系を排除するのがN700系なら仕方がないのかもしれない。デザインはともかくとしてだ(逝)

うたたねをしていたら減速のGを感じた。名古屋到着0649。特急券には無効印をもらって在来線コンコースへ抜ける。

臨時快速佐久間レールパーク1号は3番線からの表示。ホームに上がると武豊線用キハ75の回送が停車中。この後のようだがホームにはもう列が出来始めている。うん。のぞみ200号にしたのは間違いじゃないかな。

あと373系のホームライナー豊橋32号に3分しか乗り継ぎ時間がないってのはいただけないなあ。あと2分くれ(逝)

3番線には佐久間レールパーク号専用の乗車位置ステッカーも貼られている。最後だけ大事にするもんだなあと皮肉の一つも出て来そうになる。

0700をまわると列が長くなり始める。明らかに鉄分を含んでいる人以外にオバちゃんのグループとかも見受けられる。ハイキング客が含まれているのかなあ。

0718、117系の佐久間レールパーク1号が入線。指定席は取れなかったけどなんとか希望の中間車の席に陣取ることが出来た。座席は敢えて後ろ向き。豊橋からの飯田線区間を重要に見てのことだ。回りを見ると何人かは同じように後ろ向きに座っている。
豊橋で座席転換でももちろんいいのだけど、隣に誰か座って豊橋で爆睡しているなんて事になると割と悲惨である。また、自分が座席転換してみたら座席転換する気のなかった誰かと向かい合わせ、と言うのもちとまぬけである。
2人以上の旅ならこの辺は気にしなくてもいいのだけど、まあ、そんなところに深読みしてみる一人旅も楽しいものである。

0720出発。

MT55モータのうなりも軽やかに東海道本線を東進する。MT55モータを搭載する車輛は数あるはずなのだけど117系のそれが近郊型の中では一番好みだ。この音を楽しむために中間車狙いとしたのだ。

ブラウンのシートモケットは当時斬新だったし、塗装した鉄板ではなく化粧板が採用された内装は高級感あふれるものだった。妻面の内装は濃い木目調の化粧板で今でもかなりの高級感があると思う。

車内は座席の7割程度が埋まっている感じ。朝7時台の電車としては混雑している方だとはおもう。

車掌氏が来たので青春18きっぷに日付をいれてもらう。

車窓に目をやる。雲は厚いが確実に切れ間があり、夏の日差しが落ちて来ている。まあ山の天気は変わりやすいけど。

みんなが豊橋以遠まで行くのかと思ったらけっこうぽつりぽつりと安城やら岡崎やらで降りて行く。名古屋始発の快速として重宝されているのならそれはそれでいいことだ。自由席車両が減ってしまって大変かもしれないけど。

大府、刈谷辺りでまだ厚く垂れ込めていた雲は蒲郡辺りでは撤退してくれたようだ。駅長の座る海側の座席からは青く輝く三河湾を遠望でき、軽やかに「歌い」続けるモータの響きに混じって蝉の声も聞こえてくる。

……山側は厚い雲だなあ(逝)

0823豊橋4番線到着。ホームでは電車に程近い、目立つところに売り場を設えて駅弁を売っていた。5分停車の間に、イマイチ位置が悪いが、先頭車を撮影しておく。

0828、飯田線に入る。まあ、東海道本線から飯田線に入る電車に乗ったことがない訳じゃないのでその意味での新鮮味はないが、飯田線を117系で走るのは初めてである。飯田線オフが始まる少し前には117系が臨時快速として走っていた時期があるんだけどね。

豊川放水路を渡るころから飯田線の解説放送が流れた。今回、指定が取れなかったから往路は定期列車にしようかとも考えたのだけどこういう放送に触れることが出来るのは当該の臨時列車だけなのだから価値はあると思う。初めて乗る区間ではないのだからなおさらだ。

豊川で上り普通と交換。豊川で交換って初めてかも。

長山で運転停車してやっぱり交換。やって来たのは数少ない快速だったようで、通過して行った。

かねなし邸もよりの東上でも運転停車。10分も停車するらしい。この駅は落ち着いた雰囲気だからドアを開けてくれるといいのになあ。ちなみに交換はなかった。

と思ったら新城でも13分停車。臨時列車だからこんなもんだとは思うけど新城で大きく時間を取るとかの方がいいと思うんだけどなあ。
ホームに乗客が出て撮影会の様相。
子供が電車の前に出るのを
「邪魔」
と言い切るおまえは何様だ。いや、邪魔だという気持ちは理解出来るけど口に出すならおまえも邪魔だからいなくなれと言われた時に素直に従えるのかという話になると思うのだが。好きな者同士なのだから譲り合いたいものである。

0925発、のはずが0929発に。交換する上り快速が早くも遅れていたのである。

そして大海でも上り列車と交換である。鈍速だなあ。

大海を出ると長篠城跡と合戦についての解説放送が入った。
そして本長篠でまた10分停車(逝)

そんなこんなで中部天竜に1034着。そりゃもう終点だからどーっと人が降りる。改札口付近ではポイントカードの押印に配布に記念台紙つき入場券の販売ににとイベントてんこ盛りなのでごった返している。

取り敢えず敷地内を一周する。以前はおいてあったクハ111-1が見当たらない。9月の車内公開に向けて化粧直しかな。
7月の公開車両はオイラン車ことオヤ31だ。あとで見に行こう。

ED62は現役の最後のころを少しだけ見ることが出来た機関車だ。パンタグラフを銀色に塗られて恐らく通電はしてないだろうがパンタグラフを上げて展示されている様は凛々しくもありまた剥製を見ている気持ちにもさせられる。

ん?雨だ。雨粒が風にのって流されて来た……ってレベルじゃないぞ(逝)って思っているうちに土砂降りに(逝)
どわー濡れる濡れる。第2展示室へ逃げ込んだが反対側の屋根付ベンチの方がよかったかな。

第2展示室を見て回る。
第1展示室の方にもあるのだけど、沿線の人が記録した貴重な写真の展示が多い。三信鉄道の工事風景などJR側には残っていないのではないか。そんな写真群や、取り敢えず現場から剥ぎ取って来て並べてあります的な物件が多くあるのがここ佐久間レールパークの持ち味なのだけど、おそらくこれらはJR東海鉄道博物館には承継されないのではないかと思う。車両については屋内展示になるものも多いようだからそれはそれでいいのだけど今見れて今後見れないものが発生するのはいやだなあ。

雨が止んだようなので屋外に出る。オヤ31に入ってみよう。さすがは車内は暑い。けどオイラン車の車内観察なんて今後できる機会があるかどうか。面白かった。

先月はキハ181-1の公開だったらしい。10月は流電ことクモハ52の公開である。できれば来たいところだけど。

少し早めに昼食にする。食堂で何か、と考えていたのだけど、敷地内で特製駅弁を販売しているのでそれにした。まあ、包装紙以外は普通の幕の内、だけど汗をかいたところに柴漬けとサバの塩焼きがおいしかった。

暑いので図書室に逃げ込む。ランダムに手に取った鉄道ファンが1989年9月号。
311系の登場記事に、119系のインバータクーラー改造車登場の記事があった。まだスーパービュー踊り子は登場しておらず青函トンネルの輸送需要に応えるためにED76の改造車が登場し、北斗星用に寝台車がどんどん改造されていた。そんな時代。
たった20年前のこと。はるか彼方に過ぎ去った20年前のこと。ちょっと泣きそうになった。

一通り展示室もみて回る。プラレールの部屋はプラレールしかなかった(逝)

あ!せっかく押してもらった中部天竜の途中下車印が悲しいことに(逝)

1300を回ったので駅ホームへ戻る。
佐久間レールパーク2号は指定を取れた。指定券を見ると4号車だ。ということは200番台か。4連の117系に1両だけ組み込まれている1段下降窓車両。JR西日本は100番台で固定編成を組むがJR東海では6連を4連化するときに増備した先頭車が100/200番台なので、1編成に1両だけである。
往復で違う車両に乗車出来る辺りはついてるな。

4号車指定席はほぼ満席で中部天竜を出発。快速列車の指定席にありがちな指定券をもたない客が何も知らずに座っている、ということはなかったようだ。

うとうとして目が覚めたら三河東郷で運転停車中だった。本長篠は過ぎたらしい。中部天竜から豊橋まで2号は1時間20分ほどで走る。1号は2時間かかっているのだ。その40分はどこへ消えたか、というと長時間停車に消えているわけだが。

往路に13分停車した新城もすぐに発車する。と、思ったら東上で運転停車した(逝)さらに、なぜか豊川で対向列車を待つ。複線なのになんでだろう。考えられるのが豊橋-豊川間に入る列車本数があらかじめ制限されている可能性だが。

1505豊橋着。5番線に入ったので、向かいの快速米原行に飛び乗れば大阪着も早そうである。が、今日はそれでは行かない。それで行くことも今後ありそうだけど。

佐久間レールパーク号は回送表示で出発していった。入換信号ではなく出発信号が進行現示だったようだからそのまま大垣へ回送されるのだろう。ただし足が遅いからいろんなところで退避を行うのではないかなと推測してみる。

1本落として1524発の新快速5517Fで名古屋まで戻る。同じ5番線に到着となるので楽だなあ。やがて313系5000番台がLEDのヘッドライトを輝かせて到着した。ドア横の座席を占拠して行こう。

いたいた。佐久間レールパーク号は蒲郡で退避中だった。

やっとURO2の日誌補完が終わった。まあ今回は取り敢えず全体の流れを上げておいてあとは映像を見ながら組み立ててみようという魂胆なのだが(逝)

神のみぞ知るセカイのノベライズ読了。原作の動きをちゃんと踏まえた上で原作とは違うノリで進んでなかなか面白かった。

金山直前で雨雲の下に入る。一気に薄暗くなって来た。

名古屋で下車。
さあきしめんだ。この時期のお気に入り冷やしおろしかき揚げきしめんをオーダーする。かき揚げを揚げるのでちょっと時間がかかるのがいいぞ。

もちもちしたきしめんとさくさくのかき揚げを一気に食べ終える。うん。いいね。

さて、歴史でめぐる鉄道全路線にはここ5番線のきしめんがお勧め、とあった。それはこの揚げたてを出してくれるからか?と思い各ホームを見に行ったけど基本的に見たホームはすべて天ぷらは揚げたてをって書いてあるので謎である。ちなみに5番線ホーム以外は立食形式ながら壁があるので夏は涼しく冬は暖かい。これが言いたいのかな。吹きっさらしで食べるのが味があるんだぜ、と言いたいのだろうか。取り敢えず謎が残った。

時間があるのであおなみ線でも見てみようかと改札を出る、とそこにソフマップなんてあるので吸い込まれる(逝)
目ぼしいものは見つけられなかった。見つけたらどうするんだという思いもあったけど(逝)

で、あおなみ線は入場券が売ってないのでやめ。乗りに来た時でいいや。JR東海の鉄道博物館が出来ればいやでも乗らなきゃならないだろうし。

で、ワイドビューしなの16号は11番線発。
1659に到着するはずなのだけどなぜか来ない。遅れが出たか?と思っていると放送。
「中央線は春日井・大曽根間で大雨のため運転を見合わせております」
なんだと?(逝)

確かにさっき異様に黒い雲を見たし、ここは降ってないが近郊で局地的な豪雨になっていてもおかしくはないが。
「まもなく11番線には特急しなの16号が遅れて到着します」
……それを先に言え(逝)ほどなく4つの前照灯が見えた。あれだ。

しなの16号は10連だった。ほとんどの乗客が名古屋で下車したようで駅長の2号車はガラガラである。

岐阜の辺りで雨が振り出した。佐久間レールパークで少し降られたけどこれくらいならこの時期は上出来だろう。

大垣を通過。大垣から新垂井経由の迂回路線を走るので左側の窓にへばり付いて観察をする。確かに市街地が遠く見えるエリアを走る。駅があっても仕方ないような気はするよな。

いまだに残存する新垂井駅跡を6年ぶりくらいに眺めて満足する。

米原で乗務員氏がJR西日本へと交替で大阪までラストランである。

ところで今回しなのにしたのは安くあげようとしてなのだけど、後からきっぷを見てみたら6490円で全然安くなかったよ(逝)
ただ、大阪駅にダイレクトに入れる点に場合によっては1000円以上の価値を与えてもいいと思う。とはいえ高いな(逝)

S21HTで接続、と思ったらなぜかダイアルアップ接続が消えている(逝)これは持病なのかね。昼間は問題なかったんだが。設定情報はテキストファイルで実機が持っていた方が良さそうだな。

山科辺りまで小止みだったのに京都付近は土砂降りだった。こりゃあどうしたことか、と思ったけど西大路通過のころにはもう小止みになっていた。

1919、所定から1分ほど遅れて大阪着。まあほぼ定刻と言っていいだろう。というか駅長のPROTREKはいつも進んでるので数分ならほとんど気にならない(逝)

中央出口を抜けて、ダイヤモンドモールを抜けて、第3ビルのゲーマーズへ(逝)
ドキドキ!たまタン1巻亡き少女の為のパヴァーヌ3巻を調達。他にはあまり萌えなかった(逝)

反対側とは言え第4ビルに図書カードの自動販売機を見つけた。ここにあるなら東梅田からも遠くなくていいなあ。というかそんなに遅く帰るのがデフォルトなんてやっぱやだ(逝)

阪急に乗ったところでSL-C3000が電池切れで力尽きる。もう少し持つと思ったけど粘らなかったな。この辺が互換品の限界かなあ。

帰宅後、α700のデータを移動させていたらDドライブが一杯になった(逝)何の冗談だ、と思ってエクスプローラで見たら残り160MBとか(逝)
こりゃいかん。というわけでいくつかのデータを移動させる。当たり前と言えば当たり前だけどHD700を稼働させてからDドライブの消費が半端ではない(逝)
内蔵でHDDを増設してしばらく様子をみるかなあ。

良い旅だった。


7月27日
豊中駅の北側にはテナントエリアが少しだけある。
一番広かったのが1Fにあったキタノというスーパーマーケットだったのだけどこいつが先日つぶれた(逝)
まあ、中に入る惣菜屋がよく退去するとか、パン屋が入っていたのに開店が0900だったとか(さらに後日1000になった)不穏な空気があったのだけど。

で、閉店後1カ月以上放置されていたのがシャッターで覆われた。何か出来るのかなあと思っていたらBook1stになるらしいという話を妹の人が持って来た。聞いてないぞそんな事。というかポスターも張り紙もないし。ホントならうれしいけど。でも閉店後にしか前を通れなくってストレスたまったりして(逝)

で淀屋橋のBook1stで○本の住人3巻を見つけたので調達。

仕事ふにふに。午前中は楽だと思ったのがよくなかったが午後に逆襲されて撃沈(逝)わけわかんね(逝)2030撤収。

ふらふらになって帰宅。まだ月曜なんだが(逝)


7月28日
仕事ふにふに。なんかやってもやっても終わらない(逝)1800の段階で放心状態(逝)忙しいのはしょうがないんだけどテンションが下がるシステムはどうかとは思う。と言ってもどうしようもない部分ではあるのだけど。愚痴よ愚痴。2040撤収。

東梅田へ出て、金券ショップで図書カードを調達した。

深夜URO2前の日誌を更新。続けて編集作業に入る。ビデオ20時間分見なきゃ前に進めない(逝)


7月29日
仕事ふにふに。なんとかこなしてるはずだったのに定時に確認したらうずたかく積もった残務の山(逝)2210撤収の惨劇(逝)
撤収が同じく遅くなった同僚の人K嬢とオフィスの照明を切っていたら壁の向こうから「わー」とか聞こえた(逝)悪気はないんですってば(逝)

豊中に着いたら雨(逝)うん。このくらいなら、と思って歩きだしたらどんどん大粒に(逝)コンビニに逃げ込んだところでタオルを持っていることを思いだした。タオルがあれば何とか。ほっかむりをして何も調達せずにコンビニを出る。

どーっと雨音が変わった(逝)でも何も買わなかった手前もうコンビニには戻れない(逝)
……ずぶ濡れになったよ(逝)

日誌編集はほとんど出来なかった。


7月30日
あ、iPodmini充電忘れた(逝)

Book1stで頭文字Dを調達するかどうか悩む(逝)もちろん乱丁だった初版本を手元に残すかどうかの逡巡である(逝)

仕事ふにふに。ほんのちょっとずつ前に進めているようでいて全然進んでいないと指摘されると本当のことだから凹む(逝)

昼休み。リフレッシュルームでご飯を食べていたら隣のテーブルから
「わたし明石回教大橋って赤いって思ってましたー」
とハイブロウなネタが聞こえて来てフリーズ(逝)
彼女は門戸厄神在住らしい。やっぱりというかなんというか西宮の人って(逝)

トレーニングとかあって今日も2200撤収。げは(逝)

まあ、雨が降ってないだけましだな。

京葉線でひどい車両故障があったようだ。西日本ではここまでひどい事例はあまりないとおもうのだがなんでだろう。列車密度の問題なのかも知れないけど。


7月31日
京葉線の車輌故障は変電所の予備のブレーカーまで吹っ飛ばすほどの高電圧が車輌から流れた、ことが原因らしい。
故障したのは205系でJR東日本でも山手線からは撤退したものの仙石線や鶴見線などへ転出されまだまだ現役であり、さほど古い車輌ではないはずなのだけど。

仕事ふにふに。ギリギリのところで回ってると思ったんだが気が付いたら、これ終わらんよ(逝)
「まだだ。まだ終わらんよ」
とか呟いてみる。同じせりふなのにこんなに悲しい響き(逝)
2320撤収(逝)まさか昨日より遅いとは。

第3の男に送られて宝塚行最終でふらふらと帰宅。3週連続の轟沈(逝)


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