過去の日誌12/19〜31
なお、リンクは新規アップロード直後の物なので切れていたり変更されていたりすることがあります。ご了承ください。

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12月19日
15分早出の日。

家を出て何か違和感があることに気づいた。

……デイバッグのストラップが切れてる(逝)先代の3倍の値段がしたのに1/3ももっとらんっ(逝)うわー、両肩で背負えないのは不愉快。

仕事ふにふに。怒られる(逝)的を得て怒られるから返す言葉もないよ。要改善だな。

2220撤収。仕事中にお腹が治ったことを確認したのでまあいいや(逝)
病気とかそんなんではなく、クリスマスそして年末年始の暴食を間近に控えて胃腸がクリスマス休暇をとったんだろう(逝)そういうことにしておこう(逝)

デイバッグのストラップは適当に工作したら取り敢えず使えるので様子見にしよう。


12月20日
0830起床。WILLCOMに電波をして定額プランに加入。合わせてマルチパックに申し込んでおく。以前のデータセット割引+A&B割で月額が4400円ほどだったのが4900円になる。これでかけ放題なら御の字だろう。データ通信割引は申し込まなかった。まあ不要じゃないかなあ。

SA1F00で北海道行の旅程をExcelに入力しておく。同じデータはSL-C860とAdvanced[es]でも活用出来て便利だ。

銀行へ行って通帳の繰り越しと資金調達。
帰り道、なんか工事してる。下水工事だよな。少し歩いた先でもまた何かやってる。会社名見たらさっきの下水工事と同じ。
でも、NTTがいたり、実際に工事現場には携わってなさそうな面々がいっぱいいる。もしかしてやっちゃったのか。

帰宅してさんごちゃんで買い出しに出掛ける。

……エンジンかからナーイ(逝)セルがぴくりともしない(逝)

バッテリーだと思うんだがそうでないと大病である。取り敢えずJAFにSOSの電波を飛ばす。50分ほどかかるとのことで出撃が遅れる(逝)

40分ほどして携帯電話に着信。おお、早いな。

ボンネットを開けてバッテリーにテスターを当てる。……7Vって(逝)
ブースターをつないで、
「エンジンかけてみてください」
キーをひねると弱々しいがセルが回りEJ20が息を吹き返した。見事なりJAF。秒殺とはこういう仕事のことを言うんだろう。伝票にサインして終了。

しばらくアイドリングしてから出撃。
サーバーでドリンク剤やらガムやら大量に調達して帰宅した後、バッテリーを充電がてら近所をどろどろ1周。牧落まで北上してR171-R423-中央環状と走って来た。

日誌更新。ただし2週間まだ遅れてる(逝)あとは旅の途中にどれだけ更新出来るか、だな。

年賀状いまだ完成せず。そろそろやばい(逝)


12月21日
昨日飛び込んで来た銀河の廃止のニュース。春までにもう一度乗ってやりたいなあ。上京のイベントを考えよう。

今日も朝礼があって15分早出。

Book1stに寄り道したら、あ!ガンダムさんの3巻が出てるよ。

仕事ふにふに。原因不明の頭痛に1日悩まされる。なんなんだこれ。
2100撤収してK氏とY嬢とうどんをすすってうだうだしてから帰宅。

轟沈(逝)


12月22日
頭痛はひとまず収まっている。

1本早い普通に間に合ったので座って出勤。

noriz氏からライトメールが来ていた。何時の到着になるかという質問だったので早速返信。
……届かない(逝)相手が圏外だとつながらないのがライトメールの悪いところだな。着信確認までしていることを考えると多分auのCメールも同じだろう。この辺は送信後は相手が受信するまでリトライを繰り返すスカイメールが一番偉いな。……ソフトバンクが偉いのではなくスカイメールのシステムを考えついた人が偉いのである(逝)

淀屋橋のBook1stになぜかデイドリームネイション1巻が並んでいた。なぜ(逝)○本の住人は置かなかったのになぜ!(逝)

仕事ふにふに。……だめだこりゃ(逝)
微妙に手が空いたので戯れにVistaSP1RC1をインストールしてみる。あっさり終わった。別にちょっと使った感じでは問題なさそうだ。じゃ、削除して帰るか。

……削除出来なーい(逝)エラーになるぞ(逝)

結局1945までかけてクリーンインストールするはめに(逝)みんな!ベータ版は時間がある時にインストールしようぜ(逝)

デイドリームネイションを調達しに東梅田へ出ようと思っていたのだけど朝のうちに調達出来てしまったので御堂筋線経由でヨドバシへ突入。

GX100用のSDカードを増備するのだ。今回はLexerにしよう。

……8980円、って高くなってないか。でもレジを通したら7480円ってなんだ(逝)

そのまま豊中まで戻り、エキナカのドラッグストアで使い捨てカイロを調達。自宅に貯蔵していた7年前に使用期限が切れた製品は3時間でアウトだったので廃棄決定である(逝)

荷物を準備。念のためα-7の電源を入れてみると1週間何もしないだけで容量半減(逝)充電しておく。フラッシュに入れた電池に関してはしょうがないや。まあ、予備の電源を考えたら問題はないはず。

0200就寝。遅!(逝)これは寝る前のぐるぐるでウイルスバスターが粉砕されて再インストールするはめになったためである(逝)


12月23日長いので注意
0630起床。
父親に空港まで送ってもらえることになったので0655出撃。昨日1日降った雨がまだ残っている。

うちから空港までは走行時間10分程。よい立地条件だ。

0710、航空券を調達。予約はしていたけど実際に確認出来るまではやっぱりちょっと不安である。

2Fの出発ロビーへ移動、お茶を調達。搭乗手続きを済ませる。カメラバッグのハンドチェックというのを実は初めてやったのだけど未開封の5本パックのフィルムを開封させられたのにはちょっと驚いた。逆に1本パックのフィルムをテープでまとめた方はノーチェックってちょっと不思議。

朝食用に空弁を調達。若狭の焼き鯖寿司をチョイスした。4切れで630円は量的に手頃。倍入って1050円の方がサイズ的には一般的だけど朝だからそんなにたくさん要らない。
大阪空港で若狭の弁当ってのもアレだが空港のエリアとか考えたらそんなもんだろう。

0740、搭乗開始。機材は737-400。所定ではMD-81だけど年末年始輸送態勢で変更されている。9月に乗ったスカイマークは、737-800だったっけ。今回はなんと奮発してクラスJをチョイスしている。座席の幅は思ったより狭いけど足元に余裕があるのがありがたい。カメラバッグをシート下へ無理やり押し込む。

0755、補助車両に押し出されてゆっくりと後ろ向きに動き出した。自走できるところまで来たところで補助車両が切り離される。
地上要員の人が小雨の中みんな手を振って送ってくれる。いいなあこういうの。

0805、滑走路南端から全力滑走開始。窓の外を水滴が流れる。ふわりと機体が浮き上がり、曇り空へ舞い上がった。

一気に上昇する。久しぶりに昆陽池の日本列島を眺めたよ。大阪空港から飛行機に乗ったのは仙台の母方の祖母の葬儀の時以来だからおおよそ10年振りくらいのはず。
もともと仙台は今書いたように母方の出身地でもあるので空路初体験もこの路線だった。当時はこの路線はANAの独占路線で、YS-11のみが就航していた。今はANAのほかにJEX、IBEXエアラインズが就航している。

雲を抜けて青空の下へ躍り出る。やがてベルトサインが消えた。

焼き鯖寿司を開けた。脂が乗っていて美味。挟み込まれている生姜がさわやかな風味だ。いいなこれ。ちなみに大阪駅のキオスクでも同じメニューが調達できる。全く同じ、ではないだろうけど。

0825、窓の外に雲海から頭を出している雪山が見えた。アルプスの辺りだろう、と想像していると機長氏から放送があり、松本の南辺りとのこと。やっぱりアルプスかぁ。

ほどなくベルトサインが点灯した。
機体が雲に沈んで行く。抵抗を受けて機体が小刻みに揺れる。

雲の下は海。仙台空港への着陸コースは海からなのだ。これは記憶どおり。
海岸が見えるとランディング間近だ。

0900。ほとんど揺れずに着陸。こりゃいい腕だ
0905、5分遅れで仙台空港到着。前回来た時はまだANAとJAS時代だったがその後空港が改装され、JAL便が頻繁に来港するようになっている。って、JALとJASが一体になってるわけだが。まあ、初めてくる空港と大して変わらないな。

鉄道駅、と書かれた方に進むと仙台空港アクセス鉄道、略してSATの駅。ホームではE721系4連が待っていた。
E721系は仙台空港アクセス線のために作られた車両で、車内はセミクロスシート。仙台空港アクセス鉄道も同型の車両を保有する。座席は固い。これくらい固い方が腰にはいいと思うけど。あまり長距離の乗車は想定していないのだろう。

0931、小雨の中、仙台行普通の出発。
車内は各ボックスに1組ずつくらいの乗車。

路線は単線。各駅に行き違い設備があるけど制限速度のない方を常用しているようだ。

名取で東北本線に合流。名取も親戚が住んでいるので来たことのある町。祖父に連れられて仙台駅まで旧型客車列車に乗ったのはもう25年も前のことになるか。名取でSATの721系とすれ違った。

名取、南仙台とボチボチ乗車があり、0956仙台着。
時刻表をキヨスクで調達しようと思っていたのだけど仙石線表示に従って歩いていたらホームに到着してしまった(逝)このまま時刻表レスでも問題ないようにデータは持っているけども、それじゃつまらない。

1008発快速石巻行を撮影する。石ノ森章太郎デザインでラッピングされたマンガッタンライナーなのだ。限定運用時は車内アナウンスもロボコンの声優さんが担当する。本当はこいつで行きたいのだけど、仙石線の未乗区間であるあおば通〜仙台間を乗り残したくないのであきらめる。まあそれに、マンガッタンライナーはかなり混雑して発車して行った。のんびり行こう。

あおば通行の3854Sであおば通までいったん行ってから戻る。

って、ただの地下終着駅なので萌えないけど(逝)
あと、車両は205系3100番台。山手線で走ってた電車の第2の人生だ。トイレも取り付けられて突然のイベントにも安心である。この3854Sが石巻行1023Sになる。

ここで早くもフラッシュに入れた電池が死亡(逝)4カットかいっ(逝)家を出て3時間で予備機材の投入である(逝)

先述のマンガッタンライナーを始めとして仙石線の205系には2wayシートなるクロスシートとロングシートを切り替えられる車両がいるのだけど、残念。今回乗車の205系はオールロングシート車である。

苦竹の手前で地上に出た。そのまま高架に上る。苦竹を出たら地上に降りた。見たところ、2wayシート編成は特に区分なく区間運転の列車にも入っているので捕まえづらそうな感じ。

福田町付近の直線が初めて来た時からお気に入りだ。なんだか延々続くんじゃないか、って思うような長さである。103系のころはこの直線を焼き切れるんじゃないかというような迫力でモーターをブン回して走っていた。

福田町の近くに車庫がある。以前は陸前原ノ町にあったが地下になったので移転したのだろう。103系が1編成だけ残っているらしいのだけど姿が見えなかった。

何で今回仙石線ルートにしたかだが、思い出、である。
初めて、時刻表を自分でめくってプランニングして、一人で旅をしたのがこの仙台を起点に巡る旅だったのだ。仙石線から出発して石巻線、陸羽東線、東北新幹線と巡ったのはまさに25年前の話。その頃は仙石線はまだ103系で、石巻線にはキハ40がいて、東北新幹線には緑色の帯をまとった200系がいて東北本線にはED75と旧型客車がゴロゴロしていた、そんな時代。

その後中学、高校時代にも仙台をベースキャンプとして付近の鉄道を荒らし回った(逝)が、仙石線には乗っていない。その後、大学時代に松島を一度訪れている。その時もまだ103系の天下だったがもうスカイブルー1色ではなかったなあ。石巻付近の区間運転用に103系改造の105系が走っていた時代。

そんなことを思いながら205系にゆられる。

なお、4ドアの通勤型車両なので終日ドアは半自動である。103系のころの手動からボタンを押す方式に変わった。
「お降りになる際にボタンを押してドアを閉めますと、後ろのお客様がケガをされる元ですので、ドアは閉めないよう、お願い致します」
と放送されていた。こんな放送、初めて聞いた。

東塩釜で複線区間が終わり地方鉄道の趣が強くなる。東北本線が寄り添ってくる。本線の塩釜、松島の2つの駅間に仙石線は本塩釜、東塩釜、陸前浜田、松島海岸の4駅がある。

高城町で上り普通と交換。

野蒜で上り快速と交換。ロングシートでくつろぎつつ、うとうとしていたら矢本。上り普通と交換。これがさっきのマンガッタンライナーの折り返しだった。

雨はだいぶ小降りになったけどまだ霧雨程度には降っている。止まないかなあ。

1146石巻着。女川行の石巻線普通と併走した。

駅前にさくらのという5階建のデパートがあるので本屋があるのではないかと突入してみる。
……なーい(逝)
トイレだけ借りた(逝)

諦めて駅に戻る。座れないかと思ったけど座れた。
1634Dはキハ48の2連。25年前乗った朱色1色のタラコではなく、仙台近郊で運用される白と濃淡の緑のツートンカラー。座席が混雑対策に2+1列に改造されている。1列のシートに陣取る。

1207出発。
このキハ48、違和感があると思ったら運賃表がないのだ。いや、あるのだけどLEDを用いたバス型のあれがない。そういうシステムもある、って事なんだろうな。

どんよりと曇る小雨の中をエンジンを震わせて走る。エンジンは換装されてるはずだから響きは違うはずだがJR東海のカミンズエンジンよりも重厚感がある響きで25年前を思い出させる。
車窓の両側に田畑が広がり、比較的単調な風景が続く。そうそう。前もこんな感じだったんだよな。とても退屈だった記憶がある。でも今はそんな風景こそが貴重だと駅長は知っている。

前谷地で気仙沼行に接続。同じスタイルのキハ48の2連が向かいのホームで待っていた。

1244小牛田着。3分の接続で一ノ関行533Mに乗り換え。一応小牛田始発なのだけど、さすがに3分の接続で座れると考えているほどおめでたくはない。なので乗車前に目についたその前にキヨスクに寄り道。カロリーメイトを調達。どうも食生活が貧相な旅になりそうだ。
訊いてみたらコンパス時刻表がある。ラッキー。調達。あと、この人新幹線本を調達。

で、乗り込んでみたら意外にまだ空いていて、座れた。ただし701系

701系。東北地区から客車列車と国鉄型電車の大半を駆逐した悪名高い電車である。デッキなし3ドアオールロングシート。ワンマン対応といわゆる旅情が一気になくなってしまった。

とりわけデッキなしがつらい。半自動ドアシステムとはいえ、冬は寒いのだ。
とはいえ、ラッシュ時には混雑が激しいという実情からするとこうせざるを得ないのだろうし、辛いところである。
今回は1500番台車両。編成は2連。1両目に陣取った。えんじ色のバケットシートは決して悪いものではない。けど、旅の気分はちょっとそがれる。駅弁を食べる気になかなかならないのが一番残念。
ワンマン仕様の代わりに前がよく見えるのはいい。頻繁に貨物列車とすれ違うのを眺める。これぞ東北の旅。

梅ケ沢の手前ですれ違ったED75、丸い屋根が見えたからあれ、寝台列車だなと思ってみたら24系の後ろに夢空間がぶら下がっていた。現物をみたのは初めてじゃないかなあ。

新田。白鳥の渡来地として有名な伊豆沼の近くである。この駅、昔スタンプ集めをしている時に来たことがあるのだけど、スタンプが駅事務室内に収納されてスタンプが押せず、泣く泣くスタンプがおいてある台(スタンプの絵柄が判るようになっている)を撮影するはめになったことがある。

石越。くりはら田園鉄道が分岐していた駅。駅舎はなくなっていたが線路もホームもそのまま残っていた。嬉しくもあり、とても寂しくもあり。

1334一ノ関着。そば屋があったので天ぷらそばをすすり込む。これがなかなか美味。だしが効いていた。

1405発の1541Mへ乗り換え。これも予想どおり701系2連。今度は1000番台。
外装が仙台付近の緑色の帯ではなくシックなパープル帯を身にまとう。座席も同じ系統のモケットだ。

3番線に臨時快速光のページェント号が到着した。仙台で昔から行われているイルミネーションイベントに合わせて運転されている。以前は電車だったが最近は電車のロングシート率が高いのでディーゼルカーで運転されることが多いようだ。今年は……展望席つきのKenjiが使用されているじゃん。あ!あれ盛岡地区からつい先頃引退したキハ58ではないか。これは乗り得だよなあ。

出発。したら急に眠くなった。寝る。
水沢辺りで回りが雪景色になったようだ。でも眠い(逝)

あっというまに1時間30分。盛岡に着いた(逝)

えーと、IGRいわて銀河鉄道線は。
……改札出て乗り換えかよ。この辺、切り捨てて終わり、にしか見えないんだよな。新幹線をJRの経営にしたのは間違ってると思う。何のために国鉄を分割したか判らない。

改札出たところに売店があって、仙台の駅弁も売っていたので好物の鮭はらこ飯を調達。いや、これを仙台で調達しておけばよかったんだけどさ。

2Fの改札から表示板に従い1Fへ降りたらIGRいわて銀河鉄道の改札があった。ホームは駅ビルの直下にあり、薄暗い。行き止まりの1面2線でここから花輪線直通の列車も発車する。ちょうど〜行のキハ110が停車中だった。

寒いけどホームでさっき調達した鮭はらこ飯を広げる。本来駅弁を駅で食べるなど駅長的に言語道断なのだけど701系がくるのが確定なので車内で駅弁という空気にはならない。

鮭はらこ飯をぱくつく。いくらと、鮭の身が美味。冷えてもおいしい、これが駅弁の最大の特長だろう。もちろん暖かくできる駅弁も悪くはないけど。

1634発の4539MはIGRいわて銀河鉄道のIGR7000系。青い森鉄道の車両も共通でやってくる。
1700前だというのに真っ暗である。あっさりと車窓風景を楽しめなくなった。まあ、冬至直後だし当然か。

車内は結構な混雑である。ワンマン運転でクロスシートだと遅れが常態化しそうな感じ。3ドアロング車が入るのも致し方ないか。
701系と全く同じ車両なので感想もまとめてって事になるが、ロングシートはバケットシートで悪くない。窓が大きいので空いていれば眺望も悪くはない。加速がいいので気持ちがいい。が、内装がやっぱり安っぽいんだよな。これは仕方がない、という訳ではないだろう。

青山、厨川と下車も多いが乗車も結構あり、1号車の先頭部分の密度は高い。

二戸の1分停車の間に運転手氏による車内改札があった。

斗米でどばーっと下車があり、車内が閑散としてしまった。そろそろ県境だしね。
SA1F00を取り出して日誌の補完を行う。

目時。めとき、と読む。この駅がIGRいわて銀河鉄道と青い森鉄道の境界だ。とはいえ、この駅で運転を打ち切る電車は1本もなく運転手氏の交替もない名目だけの終着駅だ。この2つの鉄道の境目ということはもう青森県に入った、ということになる。

1823八戸着。東京から新幹線で3時間ほどの場所だが仙台からここまで来るのにだらだらと9時間もかかってしまった。贅沢だなあ。

ここでまた接続が悪く581Mは1912発と49分待ちって何だ(逝)但し八戸駅は盛岡のようにあんたあっち、と別のホームに追い立てられることもなく1番線に到着した。これは新幹線が青森まで延長された暁には青森までが青い森鉄道になるから、八戸に専用の設備を設ける理由がない、からだろう。あまり喜べない。

乗り換え予定の581Mは4番線から。向かい側の5番線から函館まで行く特急スーパー白鳥がが発車するので待ち構えてシャッターを切った。789系はちゃんと幕式のトレインマークを持つ。白鳥のデザインも美しい。できれば白鳥、と漢字で表記したトレインマークがよかったけども。

581Mが1900を回ってから入線。701系2連だけどワンマンではなく、贅沢な運用と言っていいかも。盛岡までと同じ1000番台だ。1001のトップナンバー編成だった。

1912出発。闇の中をインバータをうならせて快走する。車内は座席に6割ほどが座っている。立ち客はいない。

SA1F00で日誌を補完したり持参した小説を読み終わってみたり。薬師寺涼子の怪奇事件簿・黒蜘蛛島を読了。大丈夫。まだストックはあるから(逝)ちなみにストックは待ってて藤森くん!の3巻な(逝)

2043青森着。
思ったより寒くないなぁ。急行はまなすまで2時間近くある。駅でうろうろするのはもう面倒なので(逝)駅前でのんびりできる店を探す。

あった。ガストとエクセルシオールカフェ。うーん。お茶ができればいいんだけどな。腹減ってないし。といいつつガストに入って若鶏のグリルなんてオーダーしてみたり(逝)

鳥肉を食べながらSA1F00でぐるぐる。
……STOPエラー出たー(逝)何なんだ一体。0x0000000Aだからドライバ回りの問題っぽい。AX420Sが悪いのか?うーむ。

ズボン下を防寒のために装備。念のために持って行け、と親に言われてカバンの中に入れたものだが装備するならこのタイミングだろう。道内で凍えたところでジーンズを脱いで装備追加する気力は恐らくないはず(逝)

2215、ガストより撤収して駅に戻る。はまなすは既に改札を開始している。4番線に赤い機関車を先頭に青い客車が出発の準備を整えていた。

機関車はED79。青函トンネルを職場にするためにED75より改造されて誕生した機関車だ。快速海峡の廃止、青函トンネルを通過する客車列車の減少、貨物列車用には首都圏〜五稜郭を通し運転できる金太郎ことEH500の増備など、その職場は着実に狭まりつつある。
24系寝台車は3両。所定2両だが1両増結されている。
14系座席車が6両。Wikipediaには自由席の増結はあっても指定席の増結はないような書き方だったのだけど、今日は3号車が一般客車で指定席だ。あの車両とドリームカー、カーペットカーが同じ料金なのは不公平だよな。
4号車がカーペットカー。平屋のオハ14を2段式のカーペットシートに改造した超変わり種だ。今回は座席夜行の雰囲気を大事にしたいのでドリームカーにしたけど、あっちにしておけばよかった、とちょっぴり後悔(逝)
ドリームカーは5、6号車。グリーン車のシートを使用している。7、8号車が自由席だ。発車10分前だけどまだ自由席に空席があったのが意外。これだったら北海道&東日本きっぷでチケット別買いしなくてもよかったかなあ。北海道&東日本きっぷではまなすの自由席には乗車できるのである。ま、いっか。

5号車に陣取る。どうも今日は5号車の半数が韓国系の団体客のようである。ちょっと海外旅行の気分(逝)

2245出発。ゆるゆるとホームを離れて津軽線へと向かう。
古ぼけたオルゴールの音色に続き車掌氏のアナウンス。

蟹田で運転停車。2310。発車と同時にアナウンスが流れて車内が減光された。
中小国で津軽線から別れると長いトンネルが断続的に続くようになり、ロングレール区間に入り、レールの継ぎ目をわたる響きが消える。

窓の外を眺めていたら単線が見えた。あれが津軽線だな。この先青函トンネルの入り口部分までつかず離れずを繰り返すのだ。

ED79がピィィッっと一際高くホイッスルを響かせてトンネルに入った。特別なトンネルなんだな、とすぐに判る。これが青函トンネルだ。それまではみぞれ粒で濡れていた窓が一気に真っ白に曇った。

轟音を響かせて海底の更に下へと下って行く。

窓の外が明るい。竜飛海底駅か。

やがて列車の速度がわずかに落ちて身体の平衡感覚がわずかに狂う。上り区間に入ったのだ。地表を目指してED79の機関士氏がノッチをいれたはずだ。

吉岡海底を通過した。

不意にそれまであった内壁への反響が途切れる。青函トンネルを抜けたのだ。北海道初上陸。

眠いので寝る(逝)またあした。

本日の行程、空港までがこちら、空港からがこちら


12月24日 長いので注意
長万部到着直前に少し目が覚めた。列車は逆に走っている。函館で向きが変わるって言ってたっけ。

苫小牧到着後、車内が明るくなった。起き出す客はほとんどいないようだ。歯を磨いて、顔を洗った。

南千歳。空港の新ターミナルが開業するまでは千歳空港という駅名でターミナル直結だった。新ターミナル開業に伴い、駅名は改称されターミナルへの通路はふさがれ転落してしまったイメージがどうしてもある。

千歳から先はもう町の中を走っている感じ。旅の終わりを感じさせる。実際は一区切りというだけで全然終わりではないけど。むしろこれからが本番だ。

新札幌を出てから急に車内がざわつき出した。
0602オルゴールが流れ、乗り換え放送が流れた。急行はまなすの旅が間もなく終わる。日本に唯一残された、座席車と寝台車を併結した客車急行列車。もう一度乗車できることができるかな。乗車したい。

0635発127Mは10番線から。ホームに上がって見たら、よし!711系だ。この車輛に乗りたい、というのも一つの目的だったのである。北海道の電化のために製造された生粋の道産子。しかし新車への置き換えが進んでいるらしい。この機会に体験しておきたかった。

車輛の確認だけして一旦階下に降りて、駅弁を調達した。こんな時間から開いてるのはありがたい。かに三種味くらべ弁当1100円。

127Mはもちろん定刻に札幌駅を離れる。2番列車だというのにボックスが全部埋まるほどの盛況。このまま混雑するのかな、と思ったけどうとうとして江別で目が覚めた時にはもう車内はガラガラになっていた。

かに三種味くらべ弁当を食べる。カニの味の違いがなかなか楽しい。

食べ終わったら眠くなったのでまた寝る(逝)目が覚めたら岩見沢だった。6分停車が1分しか残ってない(逝)
車内はガラガラで静かなものである。連休の月曜日とは言え0800前でこんなに静かなものか。

車窓も雪が深くなってきた。ふふふ。北海道だぜい(逝)

711系の乗り味は重厚、の一言だ。急行型と同じくデッキ付き、そして酷寒地仕様の二重窓は車内を静粛に保つための副作用をもたらした。急行列車に乗っているような落ち着いた空気である。まあ、乗客が少ないってのもあるはずなんだけど。

滝川着0816。何だこの静けさは。8時台とは思えないくらい静かだ。飯田線も田本くらいまで行けばこんな感じだけどさ。滝川は根室本線の分岐のある立派なジャンクションなのに。下車した人のうち数人はすぐにやってきた特急オホーツク1号に乗車していった。

ちなみに次、旭川まで行く普通列車の接続は1153までない(逝)その間に特急が10本やって来る(逝)完全な都市間輸送に特化していてこの区間を普通列車で越えることが非常に難しいのである。しかも1153まで待つと稚内まで行けなくなる。ならば取る手は一つ。特急でショートカットである。幸い、深川までショートカットすれば1007発929Dへスイッチできる。

もちろんこの結論に至るまではいろいろ考えた。根室本線から富良野線と迂回して戻って来れないかとか(逝)戻って来れないのだ。絶妙に接続が悪い(逝)大体、この旅で時刻表をめくると到着時刻の10分前に逃げるように1本前の列車が発車している事例が山のようにある(逝)

というわけでオレンジカードで乗車券と自由席特急券をちゃんと買って、スーパーカムイ3号に乗車。車輛は今JR北海道で一番新しい789系1000番台。まだ新車の匂いがした。最高時速130km。あっと言う間に深川に着いた。

深川到着前の乗り換え案内まで自動音声で案内されたのには驚いた。留萌本線、廃止された深名線の代替のバス路線いずれも2時間近く待ちが発生するのでちょっと楽しむという訳にはいかないか。

ここでもオレンジカードを調達。
駅前に出てみる。すっかり晴れた。いい感じである。駅ロータリーの雪作業を眺めてから道路を渡るとパン屋さんがあった。カフェとあるので入ってみると確かにそういう設備。
くるみぱんとクリームパンを調達してカフェオレをオーダー、ついでに目についたコンセントを借りられないかお願いしたら快諾していただけた。早速SA1F00とGX100のバッテリーを充電する。これらは切れると替えがないのできついたのだ。

くるみぱんはもちもちして確かに人気No.1というだけのことはある。これなら大阪でも人気出るんじゃないかな。クリームパンのカスタードクリームはこれも濃厚でおいしかった。

0940、お礼を言って駅に戻る。4番線に929Dになるキハ54が入線しているので乗り込んだ。本来はボックスシート仕様だったはずだけどシートは転換クロスに交換されていた。おそらく海峡に使われていた51形から捻出したと思われる。また、元をたどれば新幹線0系から捻出したシートのはず。

しかし、今回の旅、元は取れる、というだけの考えで北海道&東日本きっぷにしたけど、これは正解といったほうがよさそうだ。なぜかというと、このきっぷ、自動改札機で使えるのだ。5日連続で使用する必要がある、事前に通用開始日を指定する必要があるなどと面倒な部分も多いきっぷだけど自動改札をスルーできるのは場合によっては最大のメリットになるかも。

929D、車内は発車間際には結構な乗車率になった。旭川に着くのがいい時間だし、学生が目立つ。遊びに行くのかもしれない。

うとうとして目が覚めたら伊納だった。車窓が真っ白になっていて驚く。確かに札幌と旭川で気候が違うんだなあ。

学生のほとんどは旭川の手前近文で下車して行った。学校に行ったのか?

旭川着。4番線でキハ40がもう客扱いをしていたので取り敢えず座席を確保してからコンコースまで駅弁を調達しに行く。蝦夷わっぱ1100円を調達した。

ホームをうろうろしてみる。さすがに寒さを感じるな。空は青空のようだけどさらさらと雪が舞っている。

キハ40はエンジン換装、ワンマン改造こそ行っているものの、非冷房で車内側にはほとんど手が加えられていない。モケットも懐かしい青色だ。

発車までホームをうろうろしていると、4番線にスーパー宗谷2号が到着。この列車は恐らく札幌到着後、スーパー宗谷3号として折り返し、駅長と同じく稚内を目指すはずだ。そして明朝のスーパー宗谷2号としてまた札幌を目指し、明日の今ここにいるはず。そして、その車内には駅長がいるはずだ。

1115、3321D快速なよろ1号は出発。各ボックスに1組の乗客。座席定員で言うと多分1/4くらい。確かに単行で十分だな。

新旭川までは石北本線と経路が共用なので複線である。また、旭川駅の高架工事に伴い、運転所が新旭川の先に移転しているのでそこまで電化されている。とは言え公式には電化区間は旭川までなので営業運転は行われていない。

旭川運転所を過ぎると架線柱がなくなり本格的に非電化路線が始まる。

比布。かつてエレキバンのCMで一躍有名になった駅だ。数人の下車があった。

真っ白な風景の中を走り続ける。やがて峠に差しかかり列車の速度が落ちる。エンジンが咆哮を続けるも速度は上がらない。たどり着いた駅が塩狩。難所として名高い峠だ。駅を通過すると下りに入り速度が上がる。下り切ったら和寒到着だ。和寒で幾人かの乗車があった。

士別で2/3近くが下車、わずかに乗車があって終着名寄を目指す。

風連で学生ばかり結構な乗車。結局名寄には旭川出発時と同じくらいの乗客で到着した。

ここまで、乗り換えるべき列車はすべて入線して待っていたのだけど、4329Dはなぜか待っててくれなかった。キハ54がホーム隣接の留置線でどこかのんびりしているように見える。キハ54は1240になってゆっくりと3番線へ入線してきた。そそくさと座席を確保する。
最果ての地、稚内へのパートナーはキハ54-528。キハ54グループの中でも急行運用をメインとすべく製造された3両のうちの1両。旭川と稚内間を急行礼文として運転されていた車両だ。礼文は残念ながら特急サロベツに格上げの形で消えてしまったが車両は健在である。車端部が少しだけロングシートに改造されたが旭川まで乗車した車輛よりもクロスシート部分は多い。同じく0系発生の転換クロスシートだ。

1247、思ったより乗車率が高くなって出発。

美深でそれらの大部分が下車、駅長以外は残ったのはお年寄りが2人、駅長の同業者とおぼしき男性が2人。それ以外の乗客はたった1人である。

豊清水で上り普通と交換した。

天塩川温泉のホームは1両にも満たない。だから下り列車が停車すると車体の後ろ半分が踏切にかかってしまう。仮乗降場だった時代の名残だな。普通列車でもこの駅を通過する列車があるからあまり困ることはないのだろう。

音威子府着。6分停車。ドアが開くと同時に駅舎に走る。駅舎内にあるそば屋で天ぷらそばをオーダー。
音威子府駅のそばは駅そば日本一と称されることが多い。そんな文章を読んだのは小学生の時だからもう25年以上前のこと。ずっと訪れてみたかったのだけど、さすがに北海道は遠かった。そんなこんなのうちに天北線が廃止されてしまい、永遠に食べずに終わったか、と思ったがさにあらず、そば屋は健在という話を聞いたら、この機会に是が非でも食べてやろう、という気分にならない方がおかしいだろう。

が、6分なんだよなあ(逝)もう1本後の普通列車だと音威子府で50分停車してくれるので、そば食べ放題(逝)なのだがこちらに乗ると到着が遅くなってしまうのだ。ただでさえ明日の出発も早いのだからそれはちょっとなあ。

というわけでわずかな停車時間のうちにそばをすすり込む。真っ黒なそばの歯ごたえが独特だ。そして、だしが強烈である。おいしい。確かに日本一を名乗るだけのことはあるような気がする。おいしい。天ぷらもサクサクだ。だしを全部飲めなかったのが残念だ。

ま、またきてやるんだからねっ(逝)

取り敢えず乗り遅れずに済んだ(逝)
さて、上り特急サロベツと交換するはずなのだけどどこで交換なのだろう。

糠南も1両分のホームのない、駅。雪がちらつき出した。

雄信内で3分停車。ここでサロベツと交換となった。さらさらと細かな雪が舞う中、キハ183系の特急が悠々と通過して行った。

幌延。22分停車。ここで4333Dに列車番号が変わる。でも運転士氏は代わらないのでどういう意味があるのやら。
上り普通と交換。こちらも長時間停車。喫煙所へ走る人もいればシャッターを切りまくる人もいて。のんびりとした風景。

ずっと旭川から一緒の人と少し話した。帯広までばんえい競馬を見に行った帰りらしい。
「まあ、名寄からこっち、いつ廃止になってもおかしくないっすよね」
そう言われた。残念ながらそう言わざるを得ないところだろう。

1537出発。ほぼ同じタイミングで日が暮れた。急速に暗くなる。まだ1600前なんだけどなあ。暖色が風景の中から姿を消してモノトーン1色になる。

抜海で乗車、南稚内で下車、といった区間乗車があって間もなく終着、稚内。夜中のような暗さ。まだ1700にもなってないのに。

1639終着稚内着。ホームでは札幌行の最終となる特急スーパー宗谷4号が改札中だった。ホームの端にある最北端の標識を撮影。でも暗いからなあ。こうなると明るい時間帯に再訪したくなる。

シャッターを切っていたら着信。noriz氏から。
てっきり、
「列車が着いたんやからさっさと改札出て来い」
と言われると思ったので
「ごめんごめん。もう着いてるからちょっと待って」
って言ったら
「いやいやすまん、こっちが遅れるんやわ」
あ、そうなんだ。1時間くらい遅くなるって。了解了解。

というわけで真っ暗になってから散策を始める(逝)

まず行ってみたかったのが稚内桟橋駅跡。今は防波堤ドームと呼ばれているようだ。稚内駅から文字どおり桟橋近くまで延長されていた時代がある。稚内から先稚泊連絡船があり、その先もまだ日本の国土だった時代。海沿いに設けられた駅は風と波を避けるためにドーム状に覆われた。やがて時代が変わり、連絡船はなくなり、駅も線路もなくなった。が、防波堤ドームだけは残されており、25年ほど前に改修されてその姿は今も健在である。

雪の積もった歩道をぽくぽく歩く。さすがに風が冷たいが風がなければそんなにむちゃくちゃ寒い、と言う訳でもない。多分noriz氏は
「今日は暖かい」
と言うんだろう。

あった。ここだ。真っ暗な付近とは別にドームの中だけが照明で照らされている。
時代、と言う言葉が胸を満たす。ここに線路が伸びていて、人々が連絡船に乗ってさらに先を目指した時代が確かにあったのだ。恐らくバブルのように熱してそして砕け散った儚い時代。でもそこに線路があった、事を思い起こさせる場所に立てば、その光景を見たかった。そこに立ちたかったと思ってしまう。

防波堤ドームの上には上れないが防波堤ドームでないところには上れるように階段があった。上ってみる。真っ暗な海。左右には明かりが灯っているがこれは野寒布と宗谷の両岬だろう。波の音だけが聞こえる。

寒いので戻ろう。まだ時間はあるし軽く何か食べたい。食べてばかりである(逝)
駅近くをうろうろしてみたら、商店街がある。人がいないがまだ1720なんだが(逝)喫茶店でお茶、と言う感じでもないので、商店街にあるラーメン屋に入ってみた。

みそラーメン、なかなかおいしかった。あれならまた食べてみたい。

で、なぜこんな最果ての町に鉄道部品の店があるんだ(逝)カラマツトレイン。入ってみる。おおむね地元で使用された鉄道部品が多いようだけどそれだけでも無さそう。値段としては割高な印象がある、から相場なのだろう。実際に車内外で使用されるステッカー類がいい感じ。他の店も道内にあるみたいだから調べてみよう。かねなし氏に土産を調達。きっと喜んでくれるはずだ(逝)
1000円購入したら硬券スタイルの記念券をくれた。稚内桟橋までのきっぷを模している。また、稚内桟橋に線路があったころの貴重な写真をみることができた。うん。この店に入ってよかったよ。

店で物色していたらnoriz氏より着信。今から駅に向かうとのこと。了解。

駅に戻る。しばらくするとnorizから再度着信。駅前まで来ているとのこと。ひとつ確認してから駅舎に戻る。
青春18きっぷを調達。何も言わずに赤いタイプが出てくるのがこのエリアだ。大阪駅では発行枚数が減ったようで夏冬連続で調達に失敗している。今後はここで通信販売するかなあ。
後はオレンジカードと入場券を調達した。

で、ロータリーで待っていたnoriz氏と邂逅。お久しぶり。
「どこへ行く?」
「どこってどこへ」
「いや、せっかく来たんだし宗谷岬でも」
「真っ暗じゃん」
「真っ暗だよ?」
「じゃあ行こう」
(逝)

R238をnoriz氏の愛車HiluxSurfでごろごろ走る。路面は凍結していて剣呑な状態だ。さすがこの地で10年以上通勤しているnoriz氏で、ステアリングさばきに怪しさはない。

えーと、この道をずっと行くと……網走?318kmって(逝)さすが北海道である。

雪が降り出した。まあこの季節、いつ降ってもおかしくない。
ところどころ、真っ暗な中に雪だけが映り込むような区間を経て宗谷岬着。1920。30分ほど走ったかな。当然この時間に誰かいることもない。でも日本最北端の地のモニュメントは美しくライトアップされていた。2000だか2100までらしい。取り敢えず記念写真を撮った。

クルマに戻って暖を取る。そうすると歩いて来た人が。徒歩でやって来たらしい。あの顔は稚内までの列車に乗ってた人だ。カメラをおいてセルフタイマーで撮影を始めた。乗せて行って欲しいとヒッチハイクの可能性があるかも、と見ていたがいつまで経っても終わらない。これはきっと、駅長たちが立ち去ったら脱ぎ出すか北朝鮮の潜水艦に連絡を取るかのどっちかだろう(逝)

と言う訳で元来た道を戻る。
「今日の天気って実際、どうなん?」
と訊いてみた。
「暖かいな。0℃位はある」
とnoriz氏。やっぱり言われたよ(逝)

ひとまずnoriz邸に到着。バッテリー充電態勢に入る(逝)駅長は勘違いしていたのだけどリチウムイオンバッテリーは寒さに弱いのだ。だから、寒冷地で使用するなら予備を持ち合わせていた方がいい。GX100/R3用のDB60、1個増備するかなあ。あと、SL-C860のバッテリーも何だか減りが早い。そんなにへたるようなこと、してないんだがなあ。

で、2040再出撃。土産物屋につれてってもらう。
……1900に閉店していた。うんまあ、仕方ない。

夕食をnoriz邸近所の居酒屋で。宗谷産のもずくが肉厚でおいしかった。メインはオムライス。ハムがサイコロ状で食べごたえがあった。うん。言い店だねー。
2230帰宅。

うだうだと話をして、0030就寝。また明日。

本日の行程はこんな感じ


12月25日長いので注意
目が覚めた。時計を探すがなぜか見つからない。ほぼ同じタイミングに起きたnoriz氏が慌ててないところを見ると寝過ごしてはいないのだろう。やっと見つけた時計は0600だった。

うだうだした後に歯を磨いて着替える。のんびりと話をしていたらギリギリになったので慌てる(逝)
noriz氏に稚内駅まで送ってもらう。本当なら南稚内駅の方が最寄りなのだけど、せっかく乗る特急は始発から終着まで、というこだわりをnoriz氏は理解してくれる人物である(逝)

空はゆるやかにだが白んでいている。昨日の到着時よりは明らかに明るい。0700に稚内駅に着いた。
取り敢えずオレンジカードで買えるだけの区間を購入。後は車内で精算だ。

スーパー宗谷2号は2番線に既に停車中。6両だから増結してるんだな。駅長の指定券は1号車。もちろんグリーン車ではなく、普通車部分である。なお、所定4連のはずだけど6連での運転だ。自由席と指定席が1両ずつ増えている事になる。

荷物を置いて、駅の写真をもう一度撮影してからnoriz氏に挨拶を再度。
感謝。またよろしく(逝)

0710出発。エンジンを轟と響かせて本線へ進入する。

すぐに南稚内。下り普通と交換。

空がどんどん明るくなってくる。が、天候はむしろ悪化しているようで風景は白くぼやけ始める。
車掌氏がやってきたので精算。5160円追加になった。

ワゴンサービスがきたけど駅弁は幕の内1個だけになっていた。あきらめてサンドイッチにする。サンドイッチ単体は510円とやや割高感があるがサンドイッチとコーヒーのセットで610円だったらむやみやたらと高くはないと思う。

コーヒーは酸味が少なく、なかなかおいしかった。駅長的にかなり好みの味。

幌延で下り普通と交換。下り本線は雪で埋まっており、キハ54のスノープラウには雪がびっしりと張りついていた。

それにしても6連になると宗谷本線内はほとんどの駅でドアカットが行われる。最後尾の1号車は静かなものだ。

幌延。構内で保線用車両がロータリーヘッドで除雪の真っ最中だ。

0906音威子府。下り普通と交換、上り普通を追い抜く。
1号車に1組乗車があり、空気がざわつく。

0932美深。交換したのが除雪列車だ。DE15。正式には特殊排雪列車トクユキ。しまった!こっちでもカメラ構えておけばよかった(逝)
初めて見た。撮影こそできなかったけどちょっと嬉しい。
なお、除雪列車は1号車・ラッセル車、2号車・機関車、3号車・ラッセル車となっております(逝)

名寄0952。乗車あり。2時間と40分。昨日は4時間かけてたどった同じ区間を2時間と40分。車内は暖かく、車内販売もあり、窓から冷気が差し込むこともなくて快適だ。でも、昨日の各駅停車の方が贅沢だった、って思うのはなぜなんだろう。

また来たい。夏の緑が美しい時期にも来たいし、この季節にもぜひ訪れてみたい。

名寄以南は線路が整備されているので速度が上がる。巻き上げる雪煙で車窓が白く曇った。
261系の目玉スペックである車体傾斜機能が動作するのもここからだ。台車の空気バネの空気を出し入れすることで車体を傾け、高速でカーブを駆け抜ける。アクティブサスペンションシステムと呼ばれているようだ。振り子装置ほど車体を傾けることができないので曲線での最高速度は残念ながら劣るが、コストは大きく圧縮することができる。つまりコストパフォーマンス抜群なのだ。カーブでは車体が傾くのが分かる。

和寒1020。下りスーパー宗谷1号と交換だが4分ほど遅れているとのこと。わらわらとカメラをもった人が車外へ(逝)

そう言えば、261系は貫通路が常時立ち入り可能な設計なんだっけ。振り子車283系と同じである。これは高運転台システムではあるのだがフレキシブルな増結態勢を取ることができるように(今日みたいに)貫通路が設けられており、この貫通路はそのためにある。行ってみる。一番前は遠いので一番後ろ。グリーン席を通り抜けて行ってみたら。

雪煙がすごくてよく判らない(逝)席に戻った。

再度ワゴンサービスでコーヒーを求める。280円。お、新幹線より安い、と思ったら
「ただいま、クリスマス限定サービスにて、マドレーヌをおつけして350円になります」
だって。うん。商売っ気というよりも割安感を感じてしまった。ちょうどおやつの時間だし。ルタオのショコラマドレーヌだった。

さあ、塩狩峠だ、と思ってたけどたいして速度が落ちないまま通過してしまったようで気が付いたら新旭川(逝)こりゃ速いはずだ261系。旭川には3分遅れ。4番線着。隣の5番線には昨日駅長がそこにいたはずの快速なよろ1号が発車待ちだった。

すぐに出発。
函館本線を快走する。駅長は日誌の補完を続ける。深川を過ぎると青空になった。いい天気。車内のインフォメーションによると降水確率は0%らしい。ありがたい。

滝川。根室本線の新得行キハ40が発車待ちだった。釧路の車庫所属。北海道は広い。

1208札幌着。3分の延着。2番線に着いた。
取り敢えず改札を抜けて、土産物屋を物色する。白い恋人が土産のネタにはちょうどいいのだがあいにくすべて売り切れの表示だった。だったら空港で調達でもいいし。

同じエリアにある立ち食いすし屋で9個800円の取り敢えずセットを食べて駅に戻る。味は悪くない。手頃な値段だし。
1230発区間快速いしかりライナー小樽行3430Mは1番線から。さっきスーパー宗谷から降り立ったホームに上がると待っていたのはオールロングシートデッキなしの731系。うん。乗ってみたかった車両だし。先頭車にかぶりつく。

かなりの混雑だったけど、1つ目の停車駅琴似でかなりの下車客があった。
手稲でさらに下車。ここから各駅に停車になる。

1250銭函着。
海が近い。間宮海峡は真っ暗だったけど石狩湾と日本海を眺めておきたい。人がほとんど歩かない海沿いの通路を歩いて何枚かシャッターを切った。

駅に戻る。窓口で記念入場券と通常の入場券を調達した。
1350発の普通3434Mで小樽へ向かう。やって来たのは731系だった。ドア横の補助席に陣取る。固いのはいいとして、ドア横だからドアが開くと寒いなあ。ドアの上には熱風の出るエアカーテンがあるがさほど役には立っていないように思える。

銭函から朝里まで所要7分。間に張碓駅があったのだけど秘境駅になってしまい結局廃止されてしまった。昨年、駅舎なども取り壊されたはずだ。

小樽着。プチ観光でも、と思ったけど何だか面倒になった(逝)まあ駅長の独り旅しかも途中で知り合いに逢った後の旅はこんな感じになることが多いような気がする。
快速エアポート154号の指定券を調達して駅前のナガサキヤをぶらついた。

しかしなんだ、この時期に繁華街をぶらぶらしたら負けた気分になるから北海道、なら小樽は確実にミスチョイスだったな(逝)

快速エアポート154号は1504発。5番線に721系6連が出発待ち。自由席も前の方は十分空いているようだ。まあ札幌近辺で混雑するだろうし。
721系が特徴的なのは3ドア転換クロスシート仕様ながらすべてのドアにデッキがあることだろう。711系の3ドア改造を試金石として実現した仕様だ。指定席はUシートと呼ばれ特急の普通車クラスのリクライニングシートが並ぶ。
リクライニング量はたいしたことがないが、固めで疲れなさそうな座席である。

Uシートは海側の座席だった。さっき眺めることができなかった石狩湾をたっぷり眺めて手稲、琴似と来た道を戻る。車両は6割くらいの乗車。

札幌でUシート車から結構下車した人がいたのは驚いた。小樽から35分。そこまでして座りたいか。駅長は座りたい(逝)

快適に過ごして、1616新千歳空港着。
まずは出発ロビーへ。職場などへのお土産を調達する。確かに高いんだよな。ま、しょうがないか。

ゲートで検査。カメラバッグも有無をいわさずにX線検査をかけられたよ。ISO1600以下は大丈夫って言うけどさ。大丈夫じゃなかったらどうしてくれよう。

空弁を2個調達。炙りさんまの押し寿司と石狩鮨。後者を家に持って帰ろう。
さんまの炙り寿司は脂が乗っていておいしかった。出発の時に食べた焼き鯖寿司と脂の量で比べるのは酷ってもんだろう。
搭乗開始前にアナウンス。
「本日は離陸後比較的長い時間、揺れが予想されます」
えー(逝)

1725、搭乗開始。なんか自由席車みたいに列ができたので列が途切れてから席を立った。ちなみに帰りもクラスJである。

今回は進行方向右手の窓際。窓際は必須条件である(逝)

1745、定刻にゲートが閉じて出発。帰りはオーディオサービスを活用して行こう。なんか今回、1度もiPodminiの電源を入れなかった。なんでだろう。初めて尽くしで楽しかったからかな。居眠りはしたし、文庫本読んだりしてたけどさ。

滑走路端から一気に加速、冬の夜空に舞い上がる。思ったより揺れは小さい気がする。
窓の外がキラキラ光る。なにかと思ったら前照灯に照らし出されただ。モニターにはまさに吹雪の中を飛行中の映像が映し出されていた
。とはいえ思ったより天気はいいようで水平飛行に入っても地表の夜景がきれいに見える。

1822、ベルトサインが消えた。
どの辺飛んでるんだろうと思ったけどさすがに上から見ただけで判る訳もないが、おそらくGPSを使用したガイドが正面モニタに表示された。青森の西側を飛行中らしい。ふうん。地図を見る限りでは南西に真っすぐ飛行するルートのようだ。

お茶菓子とドリンクが配られた。往路と同じくコンソメスープをチョイス。何か癖になるんだよねえ。このスープ。ちなみに味を再現したインスタントものとかが売ってるので以前調達したこともあるなあ。
飲み干してお茶菓子の包装シートを押し込んで紙コップをつぶす。

ワゴンがまた回ってきた。
「おかわりいかがですかぁ?」
聞いてないよおかわりOKだなんて!(逝)大阪から仙台までは1時間ちょっと。それよりの遠距離フライトって実はしたことがないのだけど、2時間だとドリンクは2杯飲めるのかも(逝)クラスJだけの特典かもだけど。

1915、あと10分ほどでベルトサインが出る予定、というアナウンスがあった。現在位置は伊那谷と飛騨の間くらいのようだ。

やがて、眼下に夜景が広がる。この地形はあの辺のような、そうでないような。どこだろう。

1928ベルトサインが点灯。
かなり高度が下がって来ている。あれは……そうか、高速の料金所か。山の中から下ってくる……あ!あれは天理料金所だな。とか思っている間に機が軽く旋回してまたどこか判らなくなった。

次に旋回した時、一際高い山が正面に見えた。うん。あれは生駒山だな。てことはそのふもとの幹線道路は外環状線ことR170だ。

しばらくすると高速道路の上を通過した。近畿自動車道と中央環状線だ。淀川と淀川沿いに走る阪神高速守口線の上空を通過する。
阪急京都線地下鉄御堂筋線と新御堂筋阪急宝塚線。あそこは曽根のダイエーだな。つぎに正面のモニタを見た時には滑走路が間近に迫っていた。

とんっと軽い衝撃でランディング、次いでエンジンが逆噴射して減速Gが機を包む。A滑走路前で離陸、着陸する便を見送った後、14番スポットへ向かうとアナウンスがあった。

到着してみたら15番スポット(逝)間違えたのか急遽変更になったのか。

モノレールで柴原まで行って歩いて2035帰宅。よい旅だった。

荷物の整理。
フィルムは6本消費。久しぶりに撮った方、かな。問題は現像に出すのがいつになるか、である(逝)できれば大阪着1800位でいったん梅田へ出て、ってのが理想だったのだけどそういう便がなかったんだよなあ。

今後の課題はバッテリーだなあ。どうしたもんか。

本日のルートはこんな感じ。機内でGPS受信機が使えなくなったのが痛いなあ。


12月26日
土産物を持って出勤。

仕事ふにふに。テンション上がらない(逝)頑張れヲレ(逝)
2100撤収。旅行前に粉砕してしまった環境の再構築がまだ終わってない(逝)

帰宅。轟沈(逝)シェーバーの洗浄剤入れ替えをしないといけないのに。


12月27日
仕事ふにふに。どうにもうまく回らない。どこか間違ってるはずなんだが、まあいいや(逝)
2000に撤収して、仲のいい人と忘年会のような食事。鳥を食べながらK氏の生っぽい話を聞いて突っ込む(逝)

2230散会、T嬢と梅田までぽくぽく歩いて阪急梅田で別れる。そのままトイレに行ったら並んでいる間に急行に乗り遅れる(逝)

帰宅。轟沈せずに済んだ。

……あ!年賀状!(逝)


12月28日
今日が出勤最終日。よりによって雨(逝)

ここいらで書いておかないと書きそびれそうな話題。
ヤッターマンが復活する。ゴールデンタイムということもあり、かなり注目されているようだ。正直言って、ここまで原作を踏襲してくるとは思わなかった。
「ここを変えちゃいかんだろう」
と駅長らが思うこと、というのが当然あり、しかしそれは多分きっと変えないと商売にならない、あるいはペイしないと思われるところばかりだったのだが。
まさかここまで変わらないとは。非常に製作コストの高い作品になりそうである(逝)

仕事ふにふに。だめだ!まにあわないっ(逝)
ヨドバシに行きたかったのに撤収が2045でタッチアウト(逝)

梅田まで戻れば2105ムキー(逝)

帰宅。轟沈。年賀状がっ(逝)


12月29日
0800始動。
午前中はもたもたと年賀状制作。何とか形になったか。当初のネタからは妥協した(逝)

一段落したのでさんごちゃんを起動させて母親の買い出しの手伝い。

……バッテリー上がってエンジンうごかなーい(逝)またかよ(逝)

JAFを呼んで復旧してもらう。今回は9Vだけどもちょっと放電早くないか。そもそもバッテリー交換してからまだ1年なんだが。もう一度同じことが起きるようなら一度クレームだな。

買い出しを済ませて、尼崎のスーパーオートバックスへ。小物大物取り混ぜて欲しいものはいくつかあるのだけど、今のさんごちゃんの稼働率を考えるとプライオリティを高くする必要がないのでちょっと見送り。ケミカル類をちょいと補充しておく。

敷地内のパソコン工房でTrancendのSDカード、150倍速の製品を1枚調達。さすがに4580円もした。GX100向けに6GB体勢を組んでおけばまあしばらくは困るまい。

帰宅中に書店に寄り道して、CDA若き彗星の肖像10巻を調達して帰宅。

……あ、ガソリン入れるの忘れてた(逝)


12月30日
1000起床。よく寝た(逝)

年賀状をがすがす印刷。1枚だけ、リーダー氏には事前投函を、と思ったのだけど……肝心の07年年賀状がない(逝)諦める(逝)

1400、出撃。
梅田まで出て、天下一品で昼食。ラーメンで腹一杯になったところで献血。献血ルームはもう休みだけどギリギリまで献血車が街頭に出るんだそうな。それだったら居心地のいい阪急グランドビルを開けた方がいいように思うんだが。大阪駅御堂筋口で献血。全血献血のみだそうで400ccをごんごん抜く。ここ数年、成分献血しかしてなかったから久しぶりだなあ。まあ、間隔が3カ月空くことも珍しくなくなってるからちょうどいいか。

……え?もう終わり?(逝)抜くだけだと早いこと早いこと(逝)

ヨドバシへ突入。フィルムを現像依頼して、フィルムを調達。結局PROVIA400Xの5本パックを調達した。あわせてeneloopの単3、単4を4本ずつ。後者はGX100の緊急用電源として。

夕食後、飯田線オフの準備をしながらぐるぐる。日誌作成のための資料をあらかじめテキストに落としておく。
紙の時刻表を見た後にモニタを見たら。あれ。画面が変だ。いや、IEが変だ。フルスクリーンと最大化と元の大きさにもどすを連続で切り替えているような感じ。ばたぱたと鬱陶しいことこの上ない。

他のアプリケーションでは問題ない感じ。見ていると他のアプリケーションがアクティブなときは現象は起きない。でもIEのウィンドウをアクティブにすると発生する。なんだこりゃ。CPU使用率も別にさほどおかしくはない。IEのプロセスが高くなっているだけだ。

まずはウイルスバスターでウイルスチェック。スパイウェアを早々に引っ掛けたが終わってみるといつものCookieだった。
アドオンなしでIEを起動させてもだめ別ユーザーで起動させてもだめセーフモードとネットワークで起動させてもだめ
IE7を削除してみてもだめ。動きが若干変わった程度で基本的な動作には変化が見られず。
しょうがないのでシステムの復元を実施。現象が起きたのがついさっきなのだからプログラムが原因で起きるのなら解決できるはず。つか、しろ(逝)

……かわらなーい(逝)
つか、IEだけでなくエクスプローラでも起きてるのか。コントロールパネルがまともに開かない。
sfc /scannowでどうだこの(逝)

な、治った……?(逝)が、IE上でテキストのドラッグができない。何だろうこれ。
が、もはや待ってられない。カシミール3Dで北海道旅行のログを処理しておく必要がある。もう0300なんだが(逝)

何とか終わらせたのが0430(逝)何でこんなところで苦労してるんだヲレ(逝)


12月31日 長いので注意
眠い(逝)
0830起床。

メインマシン、休止状態から復旧させたらなんか普通に動いてる(逝)再起動じゃないところがてきめんにうさん臭い(逝)

取り敢えず風呂に入ってふにふに準備して1140出撃。おおむね1時間くらいもともとの予定から遅れてるのか。といっても細かい予定を立てていた訳ではないからいいや。

大阪なのに妙に寒いので防寒体勢は前回の北海道並で挑む。で、ZIPPOのハンディウォーマー忘れて来たくさい(逝)

梅田で紀伊国屋書店へ突入。田中芳樹ばかり文庫本3冊も調達(逝)岳飛伝2、3巻と春の魔術。愚かだのう(逝)

地下鉄でなんばへ。着いたら昼食。カレーを食べた。バッファローカレー、なかなかおいしかった。ルーが多めなのがGoodである。

とらのあなへ。あ、ソフマップのとなりがとらのあなか。移転してきたのか。ふんふん。

って、これBL系メインの店じゃねーかっ(逝)ちゃんと書いておいてくれよ(逝)

今までのとらのあなは今までの場所にあった。電車でD23を調達。レジに並ぶところで……コゲどんぼの同人誌を見つけてしまい調達(逝)420円のはずが2520円になった(逝)

南海で新今宮へ。時刻表をめくる。奈良から久しぶりに奈良線に乗って京都から東海道線経由で東上しようと思ったのだけど、イマイチ接続が悪いっぽいので、関西本線経由にする。

新今宮で青春18きっぷにハンコをもらい入場。やってきた大和路快速3384Kで加茂へ。
木津で片町線の快速の接続を待って出発。待ち時間の間にお茶とコーヒーを調達してきた。

加茂までにコーヒーを飲み干して熱を補給。
加茂で次の244Dを待つのだ。って35分待ちかよ(逝)待つのは嫌いじゃないが今日は風が強くてちょっと辛い。
待つこと30分、1504にキハ120の2連が到着。折り返し244D亀山行だ。加茂の側線に留置されていた2連はいずれも奈良方にクロスシートの300番台が連結されていたので今回も、と奈良方で待っていたのに2両共オールロングシートの0番台だった(逝)まあいいけど。
東北本線701系修行の成果は活かされているようだ(逝)

キハ120はJR西日本のローカル線用DCだ。東海のキハ11、東日本のキハ110などに対応する車両だ。軽量車体にハイパワーエンジンで走りは軽やかである。が、以前は全車種トイレがなく駅長的に極めて不評だった。ここ数年の間に中距離以上を走る車両にはトイレがついたのでまあ及第点である。

がしかし、キハ120、半自動ドアがついてないのな。先頭車だと風が吹き込んで寒い。折り戸は半自動化し辛いかもしれないがなんとかして欲しいところだなあ。

笠置、大河原、月ヶ瀬と木津川沿いに走り風光明媚であるトロッコでも(以下省略)

島ヶ原で下り普通と交換。各駅では下車客がほとんど。
柘植で草津線電車の接続を受けて座席がまたほとんど埋まった。また柘植でも下り普通と交換。

うとうとしたり日誌の補完を続けたり。

加太越えもキハ120なら楽々だ。トンネルで一番高いところを越えて、下りの途中にスイッチバックの今在家信号場があるのだけど残念ながら廃止されたようで信号機が横を向いていた。

関は駅前が道の駅関宿になっている。一度鉄道で訪れてみたい。ただし駅自体はクルマで来たことがあるのでプライオリティをさほど上げられないのがネックだな。

1631亀山着。紀勢本線から参宮線伊勢市行に乗り換えた人がちらほら。名古屋行に乗り換えた人がちらほら。思ったより少なかったな。

名古屋行1342Mは313系3000番台2連。ワンマン仕様だけど車掌氏が乗っている。1645に亀山を出発した。
途中、河曲、南四日市で下り亀山行普通と交換した。

SA1F00で日誌補完を開始。って、北海道旅行分だから1日分が長いんだよな(逝)車窓はもう真っ暗だ。2007年最後の日が暮れた。

1803名古屋着。名古屋に着いたらまずはきしめんだ。そう。ここで食べておけば帰りに名古屋駅に寄れなくても悔いはない(逝)
3、4番ホームのきしめん屋でかきあげきしめんを一気にすすりこんだ。うむ。うまい。
なお、2007年の話で言えば大みそかも2100まで営業しているとのこと。この時間までやってくれれば嬉しいよな。

で、あっと言う間に食えたので、1820発岐阜行普通4103Fに乗る。313系4連。車内は以外に席が全部埋まっていたけど、1駅なので気にしない。

枇杷島で下車。東海交通事業城北線へ乗り換えだ。城北線は名古屋の市街地外延部を結ぶ環状線の一環だ。ただし市街地にもかかわらず現在も非電化単線のままで1時間に1本ほど単行・ワンマンのDCが走っているのみ。理由としては勝川はともかく枇杷島止まりなのは痛いだろう。名古屋に乗り入れるべきだがそうすると名古屋〜枇杷島間の輸送力も確保する必要がある。が、城北線本体はそれだと輸送力過剰になってしまう。また、第3セクターでJRと別払いなのも痛いだろう。収入を確保する、のも大事な目的だが敬遠されては意味がないはずなのだけど。

車両はキハ11の200番台。JR東海のキハ11と同型だが、塗装と、ステップがないのが特徴だ。最初から電車仕様のホームだからステップ不要なのである。
おもしろいのが、この東海交通事業が発注したキハ11、ステップつきのJR東海塗装仕様が存在し、常時JR車に交じってJR線で運用されているのだ。で、この城北線にいるキハ11が検査の時はなぜかJR東海のキハ11が代わりにやってくるらしい。もちろんステップはアダプタで埋められる。おもしろいシステムである。

1852、139Hは出発。乗客は駅長以外に2組3名。

1駅目の尾張星の宮で駅長以外の3人が降りてしまった(逝)

小田井。眼下に名鉄犬山線が見える。駅は地下鉄鶴舞線とのジャンクション上小田井だろう。乗り換えもできる距離のはず。

ようやく味美で1名乗車。名鉄小牧線に同じ名前の駅があるから少し歩けば乗り換えできそうだ。

しっかし、大晦日とは言え通し乗車1名、延べの乗客数が5名って、大丈夫かなあこれで。そんなことを考えている間に1909、勝川に着いた。

で、中央線乗り場どこ(逝)目の前に別の高架線があってあれが多分中央線なのだけど。ホームの先に件射場みたいなところがあってそこで線路が途切れている。

……改札までたっぷり10分は歩かされた(逝)なんだこれ。なんで高架線が途切れて後は歩けって言うんだか。JR東海もだがこれは愛知県だろう。早急に改善すべきだ。

んで、勝川駅は高架工事中なのでホームまでまた無駄に時間がかかった(逝)1921発高蔵寺行3151Mに乗車。

3151Mは211系6連。高蔵寺までは10分程。

高蔵寺駅の愛知環状鉄道線はシームレスに乗り換えが可能。基本1番線から発車だけど直通列車は5番線から発車したりもする。本来乗り換えはこうでないといけないはず。

1947発の1192H岡崎行に乗車。なお、高蔵寺から六名までの普通乗車券を高蔵寺で購入済み。これはオレンジカードで精算するための力業である(逝)
やって来た愛知環状鉄道2000系に乗車。JR313系3000番台との同型車だ。車内は固定クロス。なお、ワンマンではなく車掌氏が乗務している。

中央本線上りが遅れているようだ。遅れの原因は上りしなののようである。てことは下り列車の何かが遅れたことが発端かもしれない。1942発の快速名古屋行が遅れることを盛んにアナウンスしている。

1947、本来なら中央本線からの連絡客を受けての発車となる予定が置き去りにして出発。

愛知環状鉄道はもともと国鉄岡多線が前身である。そのころは新豊田までしか開業出来なかったけど高蔵寺まで全通させての開業になった。本来は他の第3セクターと同じく線路を切断されての路線になる可能性があったが2006年の愛知万博が沿線にあったことが大きく幸いしたものと思われる。万博期間中は名古屋より10連が乗り入れ、終了後も定期列車として乗り入れ列車が残った。

そんなわけで高蔵寺側は新しく開業された部分で路盤は整備されているのでまるで中央本線をそのまま走っているかのごとく電車は快走出来るのである。

瀬戸市。名鉄瀬戸線乗り換え。
八草。もともと万博八草として整備された駅で万博への最寄り駅のひとつだった。リニモ乗り換え。
新豊田。名鉄豊田・三河線乗り換え。

新豊田からは単線だが、年明け1月27日から三河豊田までが複線化されるそうだ。名鉄豊田線は地下鉄鶴舞線と相互乗り入れしているので沿線へのアクセスが便利になる、ということでもある。

北野桝塚。下り列車と交換のため2分停車。
もともとこの駅から完成した自動車を貨物列車で輸送するために国鉄岡多線は開業し、事実そのような使われ方をしていた時期があったはずなのだけど現在はそのような貨物列車は走っていない。もしかしたら今後復活する可能性はあるかもしれないけど。

中岡崎。名鉄名古屋本線接続。ちゃんと連絡している。城北線はなんであんなに中途半端なんだろう。悪意をもって線を引いたとしか思えない。

2051岡崎着。乗り通した客はいないが各接続駅からの区間利用が多いようだ。まあ、環状線の乗客ってのはそういう流動をするものだろう。

恒例の年越しそばを調達のために駅前のファミリーマートに行く。

……すぐに食べられる盛りそばがないってどういう了見だっ(逝)

しょうがないのでレンジで調理出来るそばを暖めてもらって駅に持ち帰る。次の電車までしばらくあるのでホームで全部食べ尽くしてくれるわ(逝)甘いだしがなかなかおいしいのは救い。ただ、この甘いのがどうもみりんのようで少しジーンズにこぼしたらべとつくのなんのって(逝)北海道旅行の際に機内で使わなかったウェットティッシュが役に立った(逝)

まだ時間はあるけどMO−2氏がもう豊橋に近づいているようなので豊橋より先には行かないことにする。
やって来た2127発普通豊橋行4124Fが313系だったので、のんびり東海道を行くか。2125に先に特別快速がやってくるけどまあそこで急ぐ必要もあるまい。

SL-C860のバッテリーが早くも半減表示になったのでチャージを開始。次のイベントには新しいバッテリーをおごる必要があるかな。

2158豊橋着。MO−2氏はどこかいな、と探しているといた!コンコースでMO−2氏と邂逅に成功。

もともと新幹線で西へ向かう予定だったのを繰り上げて18きっぷ使用にしたとのこと。夕食を食べていないとのことで、駅前のマクドナルドに突入。乗りたい電車は2320なので2300までの営業でも問題なし。
MO−2氏はメガトマトのセット、駅長はプチパンケーキ。いやだって、屋台と居酒屋で食う分残しておかないといけないもの(逝)

60CSxで使用する地図をMO−2氏が使用している。microSDカードで使うものなのでコピーしてもらう。PC経由でさくさくコピー。

……60CSxが起動しなくなった(逝)なんだー(泣)
まず考えられるのがコピー失敗。次にこの方法ではこの地図は使用出来ない。あと故障(逝)
が、ここで2300になりマクドを追い出される(逝)

駅までぽくぽく歩く。
2310、豊橋駅1番線に2320発新城行最終567Mが既に入線済み。あ、文市氏夫妻だ。無事邂逅を果たす。
567Mは313系。

車内でトラブルシューティング。まず、microSDカードなしで起動させて見る。問題ない。と、なるとハードの問題の可能性は低そうだな。
次に駅長のmicroSDカードでMO−2氏の60CSxを起動させてみる。こちらでも機動出来た。て事はコピーエラーでもなく、そういうものだ、という仕様の可能性がありそうだ。
最後にMO−2氏のmicroSDカードで駅長の60CSxを機動。大丈夫じゃないか。てことは悪いのはコピーの方法だな。MO−2氏の60CSxにmicroSDカードを装着したまま起動させ、PC経由でフォルダごと削除。
microSDカードを戻して駅長の60CSxを起動。

……治ったー。うわーよかったよー。

2320、普通新城行出発。
2332豊川着。車内の人も大半が下車したようだ。

閑散としている駅前を豊川稲荷へ歩く。駅前は静かなものだ。

山門前から急に賑やかになるのは例年同じ。

「あれ?こんなに並んでたっけ」
「いつもはもう少し前で並んだような」
参拝を待つ列に並ぶのも例年なのだけど、その列が昨年より長い。てことはもっと待つ必要があるのか?
うーむ。

「いつもより寒くないかも」
「風がないですよね」
言うとおり、いつもここで待つ時間が多分最大の苦痛なのだけど、今日はどうもそうではなさそうだ。ありがたい。

0000、鐘の音と共に日付が変わり、どこからともなく拍手が沸き起こる。明けましておめでとうございますとみんなでごあいさつ。またあした。

本日の経路はこんな感じ


コンコースに戻ります