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2005.10.19 UPLOAD

お奨めぢゃないけど……いいね、すごい値、西日本パスでバカ旅!

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3日目-2月25日  
0237に目が覚めた。また眠りに落ちる。
次に目が覚めたのは停車時のショックと下車するためのバタバタであった。下関らしい。なんでも、ここ数日のあかつきのレガートシートは下関での乗車、下車がほとんどであると車掌氏が昨日教えてくれた。九州まで行く特急の乗客が本州内でしかも乗り放題きっぷでしか乗って来ないとなれば駅長だってそうだけどやっぱり気の毒だよなぁ。そんな中で「長崎まで」と指定券を見せたお客さんに「長崎までですか!」と嬉しそうに答えていた車掌氏の声が印象的だった。駅長たちも運賃を別払いして博多まで行く。

というわけでうとうとしつつ関門トンネルをくぐり抜けるのを眺めているうちにまた眠りに落ちた。

次に目が覚めたのが黒崎。次の停車駅が博多だからそろそろ準備するか。室内は真っ暗だからまだまだ寝ている人もいるから静かにね。
まずは腹ごしらえ。Mannekenのワッフルを味わってから、歯磨き、洗顔を済ませてから荷造り。それでもまだ10分くらい余裕があった。

ゆるやかに減速して博多駅8番ホーム。ちらほらと下車する人が見えた。出口で車内清算したきっぷを渡してコンコースへ。
地下鉄に乗り換えて天神を目指す。福岡の天神と言えば福岡一すなわち九州一の大商業エリアである。駅長らの目的はそこにターミナルをかまえる西鉄、つまり西日本鉄道への連絡である。
天神、姪浜方面の地下鉄は行ってしまったばかりのようでホームでしばし待つ。近年、福岡市営地下鉄ではホームの乗車位置部分にドアが設けられた。ホームドアのお陰で列車進入、出発時の接触事故はなくなったが、写真が撮りづらくて仕方ないというのがマニアの感想である(逝)ま、地下駅でカメラを向けることもあまりしなくなったけど。

3駅先の天神で下車。西鉄乗り換えの看板を頼りに歩く。駅長も西鉄は初めてなのだ。
ほどなくきっぷ売り場が現れた。その正面がホーム。4面3線とはこぢんまりしているなというのが率直な感想。もう少し規模の大きいものだとばかり思っていた。
普通電車で4つ先の大橋へ。向かいのホームでは通勤客が列をつくっていた。
改札を出てバス乗り場へ。ロータリーを1/4周すると目指す博多南行のバス乗り場が見えた。そう。博多南へ向かうのが目的だ。
時刻表を見ると博多南へ向かう列車は初発が0730と遅く、その後のプランがタイトになり過ぎるのだ。だから一計を案じて、博多南へ回り込んでから列車を利用することにしたのである。これも、博多まであかつきを利用できないときつい流れになるところだったが、快適に移動できたのであかつきの車掌氏には感謝である。

バスは最短距離で結ぶ7系統のバスは出てしまった後だけどその次の49系統のバスがほどなくやってきた。
車内で路線図を見ていると
「どこまでいくの?」
と運転手氏から声をかけられた。博多南まで、と答えると
「一番早いのは7番なんやけどなあ」
と教えてくれた。7番は出ちゃった後なんで、というとそうでしたか、と答えてくれた。ちなみに運賃は260円で変わらない。

20分ほどバスに揺られる。団地で通勤客を乗せて新幹線の高架下に出て少し走れば博多南だ。

博多南 駅名表を2つフレーミングしようとしたら失敗(逝)春は綺麗なんだろうけれども。

バスや自家用車でやってきたビジネスマン風のスーツ姿がぞろぞろと駅へと吸い込まれて行く。階段を上ると改札口。西日本パスを見せて改札口を抜けると100系が待っていた。側面の行き先表示器に博多とだけ表示しているのも新鮮だ。
空席を探すとまだあったのでそこに落ち着く。

やがて発車時刻。ゆっくりと出発。この博多南線はここに来て初めていいね、すごい値、西日本パスで乗車する未乗区間となる。
室内にある情報表示が消灯したままなのが普通の新幹線とは少し違う雰囲気。車掌氏のアナウンスもこころなしかそっけない。
ゆったりと10分かけて博多駅ホームに到着。

博多南線の電車はこだま、ではない。ただの博多南行きなのである。

お土産物を物色。あとで戻って来た時に買おう。
お、メンタイえびせん。これはいいと思ったけど、売店のおばちゃんに何時まで開いてるか訊いたら1900だって。こりゃだめだ。他の土産物屋で調達しよう。さよならメンタイえびせん(逝)

朝食をどうするか。駅長はMannekenのワッフルでおなか一杯(逝)というわけで小倉へ移動することにした。
100系こだまの自由席に適当に座って一駅。やっぱり車内は通勤客の方が多いかな。小倉で日豊本線に乗り継ぐ人もいるかも。

車窓にダイエーのマークが遠く見えた。あれは閉鎖されるのかあるいはそうでないのかとふとそんなことを思ったり。
小倉着。

改札を出る前に、折尾駅の駅弁屋さんが出店しているのを見かけた。当初は山陽新幹線全通30周年記念弁当にしようかと思ったのだけど、かしわめしをこの機会にと思い調達した。

改札を出て朝食場を探す。駅長はおなか減ってないからコーヒーだけでいいや。

食後、いよいよ出発である。
自動券売機で下関までの乗車券と自由席特急券を調達。券売機には「折尾・行橋」と書いてあったので少しドキドキだったが出て来たのは25kmまでという特急券でほ。
ちなみに厳密なことを言えば、距離が書いてある券面ならどこへ行っても問題なしだが、駅名が書いてある券面だと本来であればその駅へ行く以外は無効となってしまう。現状は同じ金額を支払っているのだから柔軟に対応してくれる場合がほとんどだろうけど。

ホームに出てみると自由席車両のドア位置にはすごい列が。
廃止直前だからなぁ。仕方ないか。
騒ぎをよそに立ち食いそばのスタンドへ。む。なにか違う。あっちのホームと会社違うのかな。ま、いいや。月見うどんをオーダー。
……やっぱり違う。かしわが乗ってないよ。違う業者が入ってるんだねぇ。しまったしまった。ただし、麺が冷凍のせいか歯ごたえがあってなかなか美味だった。だしも薄味でなかなか悪くない。

で、食べてる間に入線して来た特急いそかぜに乗り込む。指定席は最後尾1号車のみ。乗車区間の差異はあれど、全体的には指定席は満席だろう。

いそかぜ 特急色。イイよねえ。

いそかぜはキハ181系3連。車内は簡易リクライニングシートに交換されてはいるが、背ずりも最近の車両に比べれば小さいし、シートピッチも狭い。外観は登場時と全く同じ国鉄特急色に身を包んでおり、それは現在残る181系グループのうち唯一である。そしてそれが廃止とともにマニアを熱狂させる原因となっているのだ。

 いそかぜの車内。オリジナルではないけれども。

ゆっくりと出発。
JR貨物の機関区が見える。関門間を支える交直流機EF81と九州内を支える交流専用機ED76が並んでいる。本来は遠目でもどの車両か分かるのだけど本来は真っ赤な塗装のED76が色あせてピンクになってしまうともともとローズピンクのEF81と見分けがつかなくなってしまうところが悲しい(逝)

門司をゆっくりと通過して関門トンネルへの勾配を下る。編成全体がトンネルに没したとおぼしきところでエンジンが咆哮を上げて列車はスピードを上げる。

トンネルを出ると下関。EF81に導かれていざ九州入りを待つ寝台特急さくら・はやぶさがカメラの放列を受け止めていた。あと4日で廃止になる運命である。EF81にはヘッドマークは装着されていなかった。

下関2分停車の間にnoriz氏が水分補給に自販機へと走る。同じ事を考えた人が他にもいたようだが自販機がさほど遠くなかったこともあり無事成功して戻って来た。

幡生で山陽本線と別れて山陰本線へ入る。ここからはまたも未乗区間だ。ゆったりと単線非電化区間を行く。

川棚温泉が最初の停車駅。鉄道マニアのお名残乗車がほとんどと思っていたがそこそこの人数の下車があった。
やがて車窓左手に日本海が広がる。この時期にしては波が穏やかな方、なのだろうか。
長門市を出て列車は少し内陸を向いた後、再び日本海が車窓に開ける。観察して見ると海まで山が迫り出している地形だと内陸へいったん入り込んでトンネルや峠越えで乗り切っているようだ。

東萩で結構な下車。乗車もあった。さて、次が終点益田。まつかぜに乗り継ぐのは何人だろう。
車内放送にて「源平大合戦」のオレンジカード発売のアナウンスがあった。さよならいそかぜのカードなら迷わず調達したのに。

かしわめしをひもとく。

かしわめし かしわめし。折尾駅の名物だ。

煮込んだ鳥肉が美味。鳥肉の部分がそぼろの鶏飯はたくさんあるのだけどこれはそうではなく、そこがまた肉のうま味をよく引き出せている。名物になるだけのことはあるな。さすが、と言っておこう。

かしわめし さすがは名物。満足満足。

宇田郷を出てしばらくして長いトンネルに入った。そこまで平坦な路線でも70キロ程度だったのにこの長いトンネルの中でいきなり加速した。120キロ近くは出ていたのではないか。まだまだやれるのに、というキハ181の悲痛な叫びに聞こえて、少し切ない。トンネルを出ると何事もなかったように元の速度へ戻った。須佐を通過。益田まで後20分あまり。

益田到着。本当はゆっくり名残を惜しみたいところだけど接続列車までわずか7分、しかも座席の確保ができていないのではそうもいかない。
ドアが開くと同時にnoriz氏が駆け出してくれた。
無事スーパーまつかぜ10号に座席が確保できた。感謝。
見ていると意外にもいそかぜからの乗り継ぎばかりではないように見える。自由席に空席を残したままの発車となった。
ところで益田駅のみどりの窓口でさよならいそかぜのオレンジカードを売っているアナウンスが流れていた。車掌氏に持たせんかい(逝)

スーパーまつかぜはキハ187系2連。1両が指定席、1両が自由席という編成だから指定席が取れなかったし、座席確保に悲観的にすらなっていたわけだ。
ローカル特急そのものという姿ではあるがハイパワーエンジンと制御振子装置を搭載して高速運転を実現した。
コーナーが近づくとすぅっと車体が傾く。そのままコーナーを駆け抜け終わると傾いた車体が元に戻って行く。スムーズさでは駅長の知っている限りではトップクラスだと思った。まあ、新しい設計だから当然とも言える。

相変わらず車窓左手は日本海がつかず離れず寄り添う。今回の旅で見つけた新しい楽しみ方。振子車両が海を内側にしたコーナーを高速で駆け抜けると車窓が海だけになり迫力満点である。紀勢本線にもそんな区間があった。他にもあるかな。振子車両+海だから九州辺りにもありそうだ。

途中うとうとしながら出雲市到着。
向かいのホームでやくも20号が待っている。グリーン車は4号車。指定券取得の際に離れてしまうよ、と言われていたのだけど席に着いてみたら間には座席はなく、通路を挟んでとなり、と言った感じだった。車端なので荷物を置く場所もあってのんびり。デッキを出入りする客がちょっとうざいけど我慢しよう。

出発。初日初列車に続く381系乗車だ。国鉄時代の車両らしい小刻みな揺れとともに山陰路を疾走する。
宍道からは宍道湖・中海が車窓左手に見え出す。のんびりと昨夏、トロッコ列車で眺めた風景があっさりと後ろへ流れて行った。

米子到着。米子市は鳥取県だからこれで無事、JR西日本が走るすべての府県を通過したことになる。大バカ達成の瞬間だ。noriz氏は寝ていた(逝)

米子で大量乗車を向えて出発。伯耆大山を減速して通過、伯備線へと入る。
どうも空模様が怪しい。ま、下車して何かする訳ではないけれど。瀬戸内に出てみたら晴れてる可能性もある。伯耆溝口を出てしばらくして雨粒が窓に当たった。江尾で5分の運転停車。行き違いの特急が遅れているらしい。雨が降り出した、と思ったらすぐに雪に変わった。ダイヤがこれ以上乱れなければよいのだけれど。

スーパーやくもが通過してからゆるゆると出発。根雨の到着直前に太陽が一瞬だけ顔を出した。
生山の手前で眠いのでシートを倒して目を閉じる。

目が覚めたら布原通過中だった。布原の手前が備中神代だから既に岡山県へ戻って来ているな。空に目をやると青い部分の割合が広くなっている。これ以上悪化することはなさそうでほ。

新見着。さらに乗車があった。自由席がひどい混雑になっているらしい。車内販売が乗車するがワゴンが通れないので自由席部分の端まで買いに来てほしいというアナウンスがあった。
車窓に目をやると高梁川。あと1時間で岡山か。日誌の補完を続ける。noriz氏は米子手前から爆睡中。

備中高梁の手前で鉄橋を渡ったきり、高梁川の流れが車窓反対側になってしまってちょっと不愉快(逝)
空はすっかり青空だ。西に傾いた夕日を浴びながらやくも20号は岡山を目指す。

備中高梁では備前片上行の普通と緩急結合した。車窓にはイオン倉敷への案内看板が見られるようになって駅長の行動圏内に入りつつある。
倉敷到着直前に鉄道唱歌のオルゴール。爆睡していたnoriz氏がムクリと起き出した。後で聞いたら途中何度か目が覚めたらしいが基本的には寝倒していたとのこと。

岡山到着1658。途中行き違い列車が遅れた影響を受けて6分の延着であった。

ホームは学生であふれている。大体こんな感じなんだよな。岡山駅のこの時間帯は。
と、思っていたが新幹線ホームにもたくさんの高校生。何だこりゃと思っていたがnoriz氏によると前期日程の前日らしい。なーるほど納得。

noriz氏はお土産を探して土産物屋に突入。どうも地域限定コロンにはまったらしい。岡山だからきびだんご風味コロンとかあるかなぁ(逝)
駅長はいったん改札を抜けて知っている限りの書店を探索。でもハヤテのごとく!はどこにもなかった(逝)素直に増刷を待つかな。

ひかり371号はレールスターこと700系3000番台8連。全車普通車で指定席となる4〜8号車は2+2列のグリーン車並のゆったりとしたシートが特長だ。山陽路を285キロで疾走して山陽新幹線の平均速度を高めるとともに最高時速270キロでなおかつのぞみ料金の必要な300系のぞみの価値を著しく下げたりした。

今回はオフィスシートを選択。オフィスシートは各車両の端の1列4席をコンセント及び大型テーブルつきとして、PC使用を前提とした座席として他の指定席とは別扱いで提供するものだ。
初めて座るけど確かに広いテーブルだな。SL-C860置いたらスペースを持て余した(逝)注意書きを見ると重さの限度は10kgらしいから、一般的なノートPCでこれを超える物はないと思うから十分な強度と言える。コンセントの2Aもこんなもんなんだろうな。

取り敢えず駅長はPCもコンセントを使用する機器も持って来てないけど(逝)

あっと言う間に福山広島新山口小倉博多(逝)

朝出発した博多駅コンコースに再度立つ。まずはお土産物屋物色。けっきょくめんたいせんべいにした。ちょっと高かったけど3連休のお礼かな。来月の3連休はお土産用意できないだろうし。
ちなみに高岡で富山名物らしい雷鳥の巣立ちを調達してある。

noriz氏が土産物を買い過ぎて破産(逝)コンコースのATMへと消えた(逝)待っている間に新幹線コンコース散策。

戻って来たnoriz氏と夕食の買い出し。おべんとうの看板を掲げたお店はカラフルなサンプルを一杯飾っていてこれはいいぞ……残ってるのはレジ前の3個だけってそりゃないよ(泣)
ホームで何とかしようか。
ホームに上がって駅長はお弁当屋さんで九州の彩という弁当を調達。九州各地のうまいものを集めたという触れ込み。九州各地を回ったのは去年だけどまあいいや(逝)

上品なパッケージだ。

 お味も上品でなかなかのものであった。

やがてのぞみ500号新大阪行が入線。8号車のグリーン車へと落ち着く。このシート、さすがだなぁ。シートの材質が気持ちいいし、ヘッドレストの固さも絶妙だ。JR西日本の看板であることは間違いない。

2005出発。
小倉に停車すると広島まで停車しない。
徳山通過。本当にコンビナートの中にあるんだなぁ。標識灯が美しい。しばらくしてトンネルの中で車端部のLED表示器に「ただいま300km/h」の表示が出た。これが見たいが為にこの区間の500系に乗る計画を立てたのだ。岡山以東で乗るなら、東海道区間でもあまり変わらないのである。

広島に停車すると次は岡山。あっと言う間に着いてしまうはずだ。
新倉敷の直前、再度「ただいま300km/h」の表示が出た。新倉敷を通過すると数分で岡山である。ここで乗り換え。そう。最後に乗り換えである。トリを飾るのは勇者0系である。編成は6両になって、こだま号専任、塗装も栄光の白に青帯から三井住友色とおちょくられるカラーリングにはなったけれども、のぞみ、ひかりの停車しない駅間を結ぶために職人的な働きを同じ任務となった100系と共に続けている。
100系は朝、乗ったので次は0系だ。

新幹線と言えば0系という時代が長く続いた。それを忘れないために。

岡山駅ホーム向かいにこだまが待っていると思い込んでいたがそうではなくちょっと拍子抜け。のぞみ500号が去った後少ししてから0系がするするとホームへ滑り込んで来た。5号車に陣取る。車内はガラガラで最初から4席占拠で問題無さそうだ。

洗面台に飾られていた0系全盛時代の写真がまだあるかどうか早速見に行く。まだあったよ。JR東海車ならともかく全車西日本車になってからも飾ったままというのはどこか変ではあるがなくなったらきっと寂しい思いをするのだろう。さりとて、飾ったままでもどこか寂しい写真である。この写真の撮影地は浜名湖。つまり自分は今後足を踏み入れることのないであろうところで撮影された写真だから。

相生、姫路と退避なしで来たが姫路で後続のひかり374号が新神戸へ先着する旨のアナウンス。新神戸には退避設備がないから自動的に西明石での退避が確定した。

西明石での停車時間を使って0系の外観を撮影してフィルムが終了。切りがいいのでここでカメラをしまい込む。3日で3本。2日目が悪天候だったのが少し残念かな。

新神戸でnoriz氏とお別れ。また機会があれば。って機会があればまたやるのか?と真顔で問われたらちょっと保留にしてしまうかも(逝)おバカな旅に賛同して参加してくれたnoriz氏に感謝を。
ごにょごにょなルートを取って(謎)梅田からいつも通り阪急に乗って帰宅。

あしたからまた仕事。フィルムの現像もカメラの片付けもしないとね。

第5章 後片付け


【更新履歴】
2005.10.19 新規作成
2005.10.23 誤字修正noriz氏感謝


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